<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ヤマブキ
性別:女
年齢:62
プロフィール:結婚して37年、三人の子供は結婚して現在は夫と義母の三人暮らし。
私の母は7年前に亡くなりました。美容師でした。
母が運転免許を取得したのは今から50余年前。
そのころ軽自動車と普通乗用車の免許は分かれていて、母はどちらの免許も取得していました。
女性で運転免許を取るというのは珍しかった時代でしたが、当時は日本髪で結婚式を挙げるカップルが多かったため、衣装とかつらを運ぶのに車は必需品だったのです。
子どもたち(私と弟)も結婚し、それぞれの家族を持ち、母は父と二人暮らしになりました。
父は定年退職をしたくらいから、自分で運転することはなくなり、病院に行くとき、買い物に行くときは、いつも母が運転するようになりました。
子ども心に「お母さんは運転が好きなんだなあ」と思っていましたし、母は結構運転が上手なのでは、と考えていたのです。
そんな母の運転に「陰り」が見え始めたのは、父が亡くなってからでした。
父の死をきっかけに気丈だった母は一人でいるのは寂しいと弟家族と住むようになっていました。
そしてあるとき、病院の駐車場で車止めにかなり激しくバンパーを当ててしまったのです。
おまけにそのことを家族にも知らせず、弟は車を見て事故を知り、びっくりして母に質問したということでした。
そこから私たちの「どうやって母に運転をやめてもらおうか」の戦いが始まりました。
私と弟夫婦が「心配だから運転をやめてほしい」と言うと、母は「車がないと外出に困る」「タクシーを頼むのはお金ももったいないし、あんたたちに乗せてもらうのは迷惑がかかる」。
これに私たちは「いやいや、何か事故があってからではそのほうが迷惑がかかる」と押し問答。
ついには、「おばあちゃんが事故でも起こして、人を傷つけたら、孫たちの人生が終わりになる」と脅迫まがいのことまで言ってしまいました。
運転免許返納の話し合いをしに母の所に行くたびに、どうにもつらい気持ちで帰ることになってしまいます。
私が顔を見せ、車の話になると途端に母は不機嫌になるようになっていきました。
そして、話し合いを重ねるうちに「"心配だから"って言ってるけど、本当は母のことが心配というより、自分や子どもたちに迷惑がかかるからという気持ちが大きいのかな」「いやいや、万が一誰かの命を奪うようなことになったら、それこそ取り返しがつかない」などと葛藤し、こちらの気持ちも落ち込んでしまいます。
やがて、なにか大事故が起こらないと母は運転をやめないのでは、と最悪の事態を思うこともありました。
そうこうしているうちに転機が訪れました。
近くに住む母の弟が、車をシェアしないかと言ってきたのです。
自分の車を廃車にした、もうこの年だし、新車を買う予定もない。
でも時々は乗りたいので、お姉さん貸してくれ、というわけです。
私は、早速母にその話を持ちかけてみました。
そうすると、母は意外なほどあっけなく「それはいいね」と了承してくれたのです。
車の費用は折半にして、車が必要なときは前もって母に連絡するということ、シェアの条件が決定しました。
さてその後、信じられないことに母が車を運転することは一度もありませんでした。
叔父は車を使うとき、何か必要な物があれば買ってきてくれましたし、時には病院に行く母の為に運転手をしてくれることもあったのです。
なにより、母は叔父が訪ねてきて自分の車を使ってくれるのをとても喜んでいました。自分の車が親しい人の役に立っているのが張り合いとなったのでしょう。
高齢者にとって車は家族のため、子どもを育てるため、そして一生懸命働いた自分の輝いていたころの証のひとつなのかもしれません。
年をとったから、認知機能がおとろえたから、事故を起こすと家族に迷惑がかかるから、と取り上げるのではなく、いままでありがとうの思いをつたえること、これまでの親の人生に敬意を表し、これからは私たちを頼ってねとお願いすることが大切だなと感じた出来事でした。
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