大好きな「おかあさん」が少しずつ変わっていく。切ない子の思い

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:kame
性別:女
年齢:51
プロィール:夫は毎週母親の話し相手をするために介護施設に向かいます。その時に感じている夫の辛さに気づきました。

大好きな「おかあさん」が少しずつ変わっていく。切ない子の思い 17.jpg私の夫は50代後半。毎週土曜日の午前中に介護施設に向かいます。そこには90代前半の母(夫の実母)が入所しているのです。

夫は高齢の母を毎週見舞っては話し相手になったり、一緒に実家に戻っては亡くなった義父のお仏壇に手を合わせたりしています。

それは週1回の数時間。それだけの時間であっても大きなストレスを感じている夫の姿がみてとれます。時には大きなため息とともに帰宅することも。そのストレスの原因を探るべく、それとなく話を聞いてみました。

すると夫の口から「昔みたいに母に話が通じないんだよね。まぁ、もともと頑固だけどね」、「あれは聞きたくなかった~。墓場に持っていくべき話を平気で俺に言ってくるんだ」、「同じ話を何十回も聞かされるとさすがにうんざりするんだよね」など、母親の振る舞いに関することがたくさん語られました。

そして、「トイレのサポートが必要になってしまった」、「だんだんと歩けなくなってきている」、「耳がほとんど聞こえていないみたいだ」など、母の身体的な衰えに関することなども夫のストレスになっていることがうかがえました。

しかし、それらの言葉の奥にあるのは、きっと「母が変わってしまった」という子どもとしての辛い思いなのだと感じるのです。大好きだった母が変わっていくのを見守るしかできないはがゆさもあるのだと思います。

夫と母はよく親子喧嘩をします。しかし、それでも夫が母に会いに行くことをやめたことは一度もありません。きっとそれは、やはり母親だからこそ。

あまりに辛そうな夫の顔を見て「次は私が行ってくるよ」と伝えても、「俺が行く。週1回の母の楽しみだから」とやんわりと断られます。
夫は少しずつ変わっていく母を見て心をいためながらも、子どもとして大好きな「おかあさん」との時間を大切にしているのでしょう。ならば私はこれまで通り、妻として夫を支えていくことに徹したいと思います。
そして、きっといつか私も自分の母とそんな風に過ごすときが来たら、夫に支えてもらいながら、変わっていく母との時間を大切に過ごそうと思っています。

人はいつか必ず老いていきます。そしてやがて命の火が消える日を迎えるでしょう。どんな人であっても。

そのときには、どんなに親子の時間を大切に過ごそうとも、悲しみや後悔を感じるのだと思います。
ですが、「それでも良かったよね」と思える自分でいられるようにしたいと願っています。

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