「世話になりたくない」と言っていた母。次第に日常生活ができなくなって.../カータン

実家で2人暮らしをする高齢の両親をサポートしているカータンさん。緑内障を患い失明してしまった父と認知症が進行してきた母。しんどいこともあるけど笑えちゃう、介護のエピソードを、月間アクセス数800万PV超の超人気ブログ「カータンBLOG」から抜粋してご紹介します。

前回の記事:「最近すぐにいろんなこと忘れちゃう。怖いの...」急に泣き出したおばあちゃんが.../カータン

--------------------------------------------------

母の物忘れの記事を書いたところ
同じ問題を抱えている方が多いことを
改めて実感した。

そう、同世代の友達と
親のことについて話すと
みんな口を揃えてこう言う。

「世話になりたくない」と言っていた母。次第に日常生活ができなくなって.../カータン 4a642b59-s.jpg

うちの母の場合も、まさに
玉手箱を開けたかのような感じだった。

2年前に遡る。
父の目が見えなくなって、
私の父(1)それはある日突然に

その頃から、母が怪しくなっていった。

「世話になりたくない」と言っていた母。次第に日常生活ができなくなって.../カータン bb595257-s.jpg

父も目が見えなくなった当初は
見えないことでパニックに陥り、
その苛立ちを母にぶつけていた。

「世話になりたくない」と言っていた母。次第に日常生活ができなくなって.../カータン 048815e8-s.jpg

当時の母のことを思うと
本当に大変だったと思う。

70半ばで、頼りの夫の目が見えなくなり、
父の日常生活のすべてを
母が面倒を見なければいけなくなったわけだから。

「世話になりたくない」と言っていた母。次第に日常生活ができなくなって.../カータン 1177885d-s.jpg

そんな母を気遣って、
私と姉は父を週に2回デイケアに
行かせることにした。

父は、デイケアを嫌がることなく
むしろ心待ちにするようになり、
これで母もストレスから解放される
そう思ったのだが
母の情緒不安定は変わらなかった。

その頃から

「世話になりたくない」と言っていた母。次第に日常生活ができなくなって.../カータン e262b0eb-s.jpg

そんなことを繰り返すようになり・・・

「世話になりたくない」と言っていた母。次第に日常生活ができなくなって.../カータン 7b5de03c-s.jpg

そして、今にして思えば
この頃から母の記憶が曖昧になっていった。

「世話になりたくない」と言っていた母。次第に日常生活ができなくなって.../カータン c36a2e2d-s.jpg

そんなことが何回か続き

「世話になりたくない」と言っていた母。次第に日常生活ができなくなって.../カータン 66297408-s.jpg

姉と連れ立って、
認知症専門の先生の講演会に出向き
講演後に相談に乗っていただき、
後日、その先生の病院に
母を連れて行くことにした。

長谷川式テスト、MRI、面談などを受けのち、

「世話になりたくない」と言っていた母。次第に日常生活ができなくなって.../カータン 3fb7ba42-s.jpg

ひとまず安心して帰ってきたのだが・・・

結果に反して、母は日に日に
できないことが増えていった。

洗濯物は洗濯機の中に
洗ったまま放置されていたり・・・

「世話になりたくない」と言っていた母。次第に日常生活ができなくなって.../カータン 88df35a9-s.jpg

そして、ゴミだ。
実家に行くたび、ゴミが溜まっている。

「世話になりたくない」と言っていた母。次第に日常生活ができなくなって.../カータン e5c4b583-s.jpg

すると、母はこう言った。

「世話になりたくない」と言っていた母。次第に日常生活ができなくなって.../カータン 4709ba6d-s.jpg

見れば、生ゴミの中に缶や瓶が
ごっちゃに入っている。

これでは、収集してもらえないはずだ。

親が日常生活で、できないことを
私たち娘が手伝わなければいけなくなった。

「世話になりたくない」と言っていた母。次第に日常生活ができなくなって.../カータン c4a89a5f-s.jpg

姉にはいつも頭が下がるのだが、
姉が週3、4回実家へ出向き、
私は週1で実家に行き、
洗濯物とゴミを実家から持って帰って来る。

何が辛かったかといえば、
真夏のゴミの分別だ。

実家から持って帰ってきたゴミを
自宅のガレージで分別するのだが

悪臭と虫に、泣きそうになる。

「世話になりたくない」と言っていた母。次第に日常生活ができなくなって.../カータン cf7f2fc1-s.jpg

夏が好き、冬なんかなくてもいい!
今までは、そんな風に思ってきたが、
今年ほど夏を恨めしく感じたことはない。

それでも、ゴミを分別しながら
私はいつも思い出していた。

母が元気だった頃、
口癖のように言っていた言葉。

「世話になりたくない」と言っていた母。次第に日常生活ができなくなって.../カータン e1332387-s.jpg

そして、思うのだ。

もしあの頃の母が、
今の私を見たら・・・?

「世話になりたくない」と言っていた母。次第に日常生活ができなくなって.../カータン 39fd3c98-s.jpg

昔の母が、どこかで今の私を見て
ごめんねと泣いてるような気がして・・・

そうだ、母だって、こんなこと
させたくてさせてるんじゃない。

そう思うと、
私は慰めらるというか・・・
やらなきゃ!と思えるのだった。

いや・・・でも・・・
真夏の生ゴミ分別には
いつもメンタルやられるのだった。

□■□■□■□■□□■□■□■□■□

姉の負担が大きかったのだろう。父も母も姉に甘えていた。私も姉に甘えきってた。ついに姉は体調を崩してしまった。しばらく健康を取り戻すことに専念しなければならなくなった。今まで姉がやってきたすべてのことを、私がバトンタッチすることになるわけだけど・・・私は今、不安でいっぱい。(こういうところ、いくつになっても次女)そんな私を思い、姉が母の介護認定を申し込んでくれたのだ。それが先に書いた母の介護認定の話の経緯だ。姉は「あんたが全部抱え込むことはないよ!あなたにはあなたの生活や人生があるんだからね」と。いや・・・本当、今まで気づいてあげれなくてごめん、姉にも姉の生活や人生があるってことに。

【次のエピソード】どうしたら父の自尊心を傷つけずに紙パンツを履いてもらえるか?/カータン

最初から読む:母が吐血!深夜の救急病院から帰宅してみると異様な声が.../カータン

【まとめ読み】面白エピソード満載!大笑いしちゃうかも⁉ カータンさんの記事リストはこちら

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
記事に使用している画像はイメージです。
 

カータン

1967年4月生まれ。小学5年生から中学3年生まで台北で過ごす。子どもの頃から妄想が得意で、物心ついた時からエッセイストを志していた。大学在学中にふとした思い付きから客室乗務員を目指し、1990年から1997年までの7年間勤め上げたのちに退職。1998年に長女を出産し、専業主婦となる。その後、2006年7月に39歳で1590グラムの次女を出産し、その経験を活かすためにブログをスタート。2008年3月には『JAPAN BLOG AWARD 2008 総合グランプリ』を受賞する。

この記事に関連する「みなさんの体験記」のキーワード

PAGE TOP