親に愛されず...気付けば「共依存体質」になっていた私。残りの人生、どう生きる?/chii

かつてモラハラDV夫との地獄のような結婚生活を送っていたchiiさん。夜逃げのように逃げ出し、別居9年目を迎えています。

【前回】別居中の70歳DV夫。年金未加入で生活保護も受け取らず、その行く末は

親に愛されず...気付けば「共依存体質」になっていた私。残りの人生、どう生きる?/chii pixta_79118044_S.jpg

私は「マイナス思考」そして「ネガティブ思考」のかたまりのような生き方をしてきました。なんでも、悪くとってしまうし、いつも最悪なことばかり考えてしまうのです。

これ、心の奥底にあるものを手放していないからだと、気が付きました。

心の奥底にあるものとは、自分に自信がないということ、自分はだめな人間なのでは? という思いです。

こうなってしまったのは、小さいころの小さな体験からです。

母にはいつも怒られてばかりいて、ほめられたり、抱きしめられたりした記憶がまったくありません。

母は兄を溺愛していました。

父は、妹を溺愛していて、妹とでかけたり、妹だけにモノを買ってあげた事実を知った時、すごく傷つきました。

そして、自分は必要とされていない人間なんだと思うようになって、モラハラDV夫と結婚してしまうことになります。

機能不全家族で育った夫の苦しみを知り、この私が夫をなんとか幸せにしてあげようなんて、とんでもないことを思ったわけです。

共依存ですね。

夫のために生きることで、私は自信を取り戻そうとしたのです。

「他人を幸せにする」そんなことできるわけなく、今度はモラハラ夫から罵声を受け続け、さらに傷つきました。

辛いことだらけだった私が変わるきっかけだったのが、夫と別居し、さらに一人暮らしを始めたこと。少しずつ、自分を取り戻していきました。

自分は必要のない人間だと思い続けて生きてきた私を変えてくれたのが、孫の存在です。

初孫が生まれたのは、令和3年、それから娘の元へ、育児の手伝いに通いました。

孫は、私が行くと大喜び、全力で私を迎え入れてくれました。

この子は私を必要としてくれているということがわかり、孫と戯れることが生きがいになっていきました。

娘に与えることができなかった愛情を孫に注ぎました。

娘は子煩悩な旦那さんと幸せな家庭を築くことができ、息子は一人暮らしをしてからは完全に自立、今は大学院1年で、就職活動をはじめています。

2人の子どもたちは、だめだめな両親に頼っていたらとんでもないことになると、人一倍努力したのかもしれません。

子育てを失敗したかも? と何度も思った私ですが、その心配をよそに、子どもたちは勝手に? 自立してくれました。

今更ながら、私は子どもたちにプラスの言葉をかけるようにしています。

つまりほめるということです。

生きがいだった孫は、保育園に入り、今はそんなに会うことができません。

ちょっと寂しいけれど、これで良かったと思います。

共依存体質の私は、また孫依存になるところでした。

今年になって転職を経験したのですが、62歳の私には覚えなくてはならないことがたくさんあり、大変な思いをしています。

ただ大変な思いをしながらも、社会に貢献しているという満足感も生まれています。

両親のことは、許します。

ひいきはされたかもしれないけれど、私を育ててくれたことに感謝して。

ネガティブ思考を手放さなければ、自分が苦しいだけだと悟りました。

残りの人生はポジティブに生きていきたい。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
記事に使用している画像はイメージです。
 

chii

モラハラDV夫の家を飛び出し、7年目のchiiと申します。離婚には応じてもらえずに、現在も熟年別居中です。つい最近、共に暮らしていた大学生の息子が自立をして一人暮らしになりました。某スーパーでサービスカウンターの仕事をしています。パートなので生活は楽ではありませんが、結婚生活が地獄だったからこそ、現在の一人の時間に幸せを感じています。別居直後から書き出した「60代小さく暮らす」お一人様の老後がテーマの「お茶のいっぷく」を書いています。

※毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

この記事に関連する「みなさんの体験記」のキーワード

PAGE TOP