「母さん助けて」DV夫から逃げて母子の「共依存生活」がスタート。私は息子を縛り付けていた.../chii

私がいないと夫は生きていけないという「共依存婚」から抜け出し、高校生の息子と二人で暮らし始めた私ですが、今度は息子と共依存する生き方になっていきました。

【前回】「この人は私がいないと生きていけないから...」私がはまった「共依存婚」の悲しい結末

「母さん助けて」DV夫から逃げて母子の「共依存生活」がスタート。私は息子を縛り付けていた.../chii pixta_97914336_S.jpg

当時は昼間のパートのみの収入で、とても二人で食べていくことはできませんでした。

ワンルームで暮らし始めた時、この子のために頑張ろうと、息子を守るためだったらどんなこともしようと決意しました。

昼間はパートとして働き、夜はパソコンで在宅でできる仕事を始めたのですが、息子のために頑張るということが私の生きがいになっていたのです。

狭いワンルーム、狭い台所で自炊。

貧しいながらも息子の世話をするのがとても楽しい時間でした。

「自分を犠牲にして子どものために生きる」

これが正しいとずっと思っていたけれど、それが間違いであったことが後になってわかります。

高校生になった息子は、貧乏であることが理由でさまざまな苦しみを経験したようです。

私と同じように自己肯定感が低かった彼は、いろんな自己啓発の本を買ってきて読んでいました。

父親みたいになりたくないという目標を持ち、ブレずに頑張っていたように見えましたが、それは簡単なことではなかったようです。

6畳ワンルームの部屋が夫にバレ、私と息子は再びもっと遠い場所に逃げることになりました。

2DKの古いアパートは、それぞれの個室を持つことができ、一見快適な暮らしになったのです。

貧しい母子家庭ということで、彼は国公立大のみ目指して勉強に励んでいたのですが、結果浪人することになりました。

受験鬱も発症し、あの頃が一番つらかったかもしれないです。

彼は父親と同じように、モノにあたるなどでストレスを発散するようになっていきました。

取っ組み合いの喧嘩をして、私がろっ骨を骨折したこともあり、いつも布団の中で泣いていた記憶があります。

「母さん助けて」

こんな訴えも何度も聞きましたが、結局、自分で乗り越えて、国立大に合格することができたのです。

東京の大学へは二時間ほどかかりましたが、私は永遠に母子家庭の暮らしが続くと思っていました。

家賃が二人分かかるのはもったいないでしょという理由をみつけ、息子をしばりつけていたのです。

本音は一人になるのが怖かったからです。

私は誰かのために生きるという共依存体質で、それに幸せを見出していたのかもしれません。

「一人暮らしさせて」「もう出て行っていい?」

こんなことをしょっちゅう言っていました。

彼は私という巣から飛び立とうとしていたのに、私が泣いて拒否していたので、東京へ一緒に引っ越そうとも言ってくれました。

でも、ある日気が付きました。

もう飛び立たせてあげよう、今、引き留めたら、息子は自立できない大人になってしまうと思ったのです。

ちょうど、古アパートでは大量にカビが発生し、親子で体調を崩していた時期でした。

エイッ!と決めてから、お互いの引っ越し先はすぐにみつかりました。

引っ越し作業は大変でした。

息子が残していった大量のごみ、粗大ごみの始末は、結局私がすることになりました。

それが母としてやってあげた最後の仕事。

引っ越し当日は、夏の真っ盛り。

汗だくでクタクタになり、寂しいという気持ちはまったくなかったです。

少しして、彼がこちらに帰ってきた時、二人で海鮮丼を食べにいきました。

その時に、この子は本当に巣立ってしまったのだと、胸が熱くなったことを覚えています。

一人暮らしをスタートし、しばらくはご飯の味がしなくなりました。

自分のためにだけ作るご飯は美味しくなかったし。

あれから二年。

先日、息子の部屋に行き、驚いたことがたくさんありました。

部屋はまぁまぁキレイだったし、炊飯器、冷蔵庫が新しくなっていたのです。

引っ越し時にもっていったものが壊れてしまったので、購入したそうです。

ベッドも買っていました。

すべて、かけもちしているアルバイト代で買ったということでした。

そしてたまには自炊しているとも聞き、びっくり。

友人たちとの交流、就職活動の開始、毎日が充実しているように見えました。

「母さん助けて」は、あたりまえのように言わなくなり、それが寂しくもあり、うれしくもあります。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
記事に使用している画像はイメージです。
 

chii

モラハラDV夫の家を飛び出し、7年目のchiiと申します。離婚には応じてもらえずに、現在も熟年別居中です。つい最近、共に暮らしていた大学生の息子が自立をして一人暮らしになりました。某スーパーでサービスカウンターの仕事をしています。パートなので生活は楽ではありませんが、結婚生活が地獄だったからこそ、現在の一人の時間に幸せを感じています。別居直後から書き出した「60代小さく暮らす」お一人様の老後がテーマの「お茶のいっぷく」を書いています。

※毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

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