<この体験記を書いた人>
ペンネーム:Baltan
性別:女
年齢:55
プロフィール:バツイチ、子なしの独り者。数々のチャレンジと失敗の人生を回収すべく奮闘中です。
今年80歳の母は、とにかく昔から猪突猛進、思い込んだら何事にも命がけというタイプです。
60代後半でその一途な生真面目さからうつ病に見舞われこそしましたが、それも気長な治療で落ち着いてきたと家族も安心していた昨年、近所に住む弟家族に不幸がありました。
4歳と7歳の子供を残して弟の奥さんが病気で他界してしまったのです。
まさに晴天の霹靂の出来事で、両親は悲しむ間もなく、弟家族のバックアップを始めました。
幼稚園の送り迎え、お弁当作り、下校後に宿題をさせ、ご飯を食べさせ、幼稚園や学校の行事をチェックし、仕事に忙しい弟に代わって子供達の面倒を見たのです。
私は海外在住のため、何も手伝えないのですが、無料で話せるアプリを使って会話をすることで励ましたり、愚痴を聞いてあげたりすることだけは欠かさず続けています。
毎日、子供たちが仕事帰りの弟にピックアップされて帰った頃が会話タイムです。
そこで感じたのが、母が生活のすべてを孫である子供達に注いでいること。
毎日作る料理の内容は、栄養のバランスはもちろん、素材は国産のみを使い、パンも手作りといった凝りよう。
子供達が軽いアレルギー持ちのため、神経の使い方も半端ではありません。
コンピューターが得意な父にネットでいろんな情報を調べさせて、アレルギーの要因になる可能性のある食べ物を徹底的に排除。
子供達は便秘がちだったため、水分摂取量に気を配り、繊維質の素材を増やし、毎日どんな風に排便したかを細かくチェック、その報告を私にもしてくれるほどでした。
排便のことまで聞かされ正直辟易しましたが、今はすっかり便秘ともおさらばし、快調なようです。
毎日の会話では料理の話が大半を占めています。
もともと料理上手な母でしたが、子供のためにと、料理番組やネットでさらにバリエーションを増やしたようです。
新しいレシピを試したら気に入ってもらえて全部平らげてくれたよ、とそれはもう嬉しそうに何度も話す母に、本当に頭が下がります。
そういえば昔から給食と内容が重ならないようにいつもチェックしてくれてたなあと思い出しました。
その時は全然ありがたみも分かっていなかったし、おいしいものを作ってくれるのを当たり前だと感じていましたが、今思うと親不孝な娘でしたね。
時々、母の苦労を子供達が分かってくれないと愚痴るので、お母さん、私も今になってやっと分かってきたこといっぱいあるよ、と伝えています。
上の子が漢字が苦手で、字も丁寧じゃないと特訓もしてるようです。
そんなことまで気遣っているせいで、母の負担ははかりしれません。
ぽっちゃりタイプだったのに、二度目の子育てが始まってから母は12キロ痩せたそうです。
今までどんなダイエットをしても効き目がなかったのに、80歳になって幼子の子育てで走り回り、気を使っているうちに痩せてしまったのだそうです。
そこは私としては心配です。
同じ料理が続いても、子供なんか好きなものだったら全然気にしないんだよ、勉強ができないくらいで死なないから大丈夫だよ、と、毎日唱えるように話すことしか私にはできないのですが...。
数年前までは、もういつ死んでもいい、と話していた両親ですが、今はこの子達が大きくなるまでは面倒をみてあげたい、あと10年は現役で頑張らないと! と張り切っています。
弟の仕事が休みの日が両親もお休みの日。
「明日が休みだと思うと本当にありがたいわー」と笑いながら、忙しいけれど張り合いがある生活がありがたいよと話す母を見て、改めて親という存在の偉大さに気づきます。
でも、全力で爆走している姿がどうしても心配です。
長くお世話をしてあげるためにもちょっとペースを落として、まず自分の体を一番大事にしてね、と伝えてますが、母は今日も全力で頑張っているんだろうな。
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