「禁断のひと言」でギクシャクした義母との関係。でも、自分が60歳を過ぎて湧き上がる「義母への感謝」

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:文月奈津
性別:女
年齢:63
プロフィール:長男、次男、主人の4人家族。長男は近所で一人暮らし。主人共々体力が落ち、毎晩9時半には寝てしまう毎日です。

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30年程前の話です。

主人の勤務先が3カ月給料未払いとなり、主人は転職しました。

時を同じくして、義両親の住むマンションに家賃がかかるようになってしまいました。

義両親の住むマンションは、その会社の持ち物で、社長のご好意で家賃は無料だったのですが、会社がマンションの権利を譲渡したため、家賃が発生することになったのです。

それまで主人の両親には毎月10万円を生活費として渡していました。

しかし、この状況では生活費はもちろんマンションの家賃も払えません。

私が働くにしても、次男は生まれて2カ月だからすぐには無理です。

毎日思い悩んでいた私は、義母に電話をかけました。

「この前話しましたが、給料は未だにでていません。私たちでこれまで面倒をみてきたのだから、しばらくお姉さんにみてもらうわけにはいきませんか」

主人に相談もせずに、そう言ってしまったのです。

私のこの言動が...義母の心を豹変させてしまいました。

「面倒をみてきた」という言葉。

義母にとって絶対に言われたくない言葉であり、私はそのことを理解していたはずでした。

私は結婚してから約1年半、生活費を渡すために1カ月に1度、義両親の元へ通っていました。

義母はおいしい手料理をふるまってくれ、様々なことを話してくれました。

その話の中に「お父さんから『おまえたちを食べさせてやっている』と言われてとても悔しかった」という話があったのです。

義両親は、新潟で自宅兼店舗の靴店を営んでいました。

母は家事や育児だけでなく、義父の仕事も手伝っていたそうです。

夫婦で協力して店を切り盛りしていると思っていただけに、義父の言葉はショックだったようです。

「4人の子供の子育て、家事、お店の手伝いだけでなく、茶の間がお客さんや近所の人の憩いの場になっていて、その接待で大変だったのに」

そう悔しそうに話していたのを覚えています。

それなのに、私はつい酷い言葉を言ってしまいました。

「嫁がこんなにかわいいと思わなかった」と言ってくれていた義母に...。

結局、義両親は「義姉との同居は考えられない」とのことで、出費を抑えるため、私たちが義母たちの住むマンションに引っ越すことになりました。

当時義母は63歳、私は35歳。

私が心ない言葉を言ったことを謝って、新たな生活がスタートしましたが、義母の日々の様子からは、「私を許してくれていない」ことは明白でした。

ある時、義母から「散々ぜいたくをしてきて、食べられなくなってきたら押しかけてきて」と言われてしまい、私も...とても傷つきました。

結婚当初は12万、長男が生まれてからは10万円。

主人の給料の3分の1にあたるお金を義父母の生活費として捻出するのは大変で、私は2種類の家計簿を付けながら、切り詰めてきたのです。

それが、あの一言でこんなことに...。

でも、それからも私なりに「苦労続きの義母」を喜ばせたい気持ちは持っていました。

「奈津さん、私に何か買ってあげたいとかどこかに連れて行ってあげたいとよく言うけれど、私は何も欲しいものはないし、行きたいところもない。ただ、今まで食べてみたことのないものを食べてみたい」

以前、義母がこんなことを話してくれたことを思い出しました。

でも転職したばかりの主人の給料は以前よりかなりダウンして、生活は大変。

義母の要望に応えたくてもままなりません。

そんなある日、珍しく出かけたデパートで、老舗和菓子屋のういろが売っていました。

ゆずを使ったものや、ヨモギのういろで餡を挟んだものなどを「珍しい」と思った私。

価格も350円から400円だったので、3本買って帰ったら...義母はとても喜んでくれました。

その時の義母の表情は、忘れられません。

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その後、肺気腫で義父が他界して、兄弟や友人のいる新潟へ帰った義母は、68歳で亡くなりました。

そして今。

私も、同居していたころの義母の年齢になりました。

そして、自分も年をとり、ようやく気付いたことがあります。

内職をしながら夫婦二人暮らしだった義母にとって、2歳と生後3カ月の孫を含む暮らしは...さぞ大変だったろうと思うのです。

私は実母を24歳でなくし、実父は孫たちに全然関心がありませんでした。

そんな中、義両親は孫たちをとても愛してくれました。

お義母さん、なかなか珍しいものを食べさせてあげられなくてごめんなさい。

お年寄りと暮らした子は優しい子になると聞いたことがあります。

おかげさまで、子供たちは優しい人に育ちました。

今だからこそ、伝えたいです。

お義母さん、本当にありがとう。

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