性別:女
年齢:69
プロフィール:私は夫と息子、息子の子ども2人の5人で暮らしています。息子の代わりに日中の子どもたちの世話は私がしています。
※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。
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私は、結婚を機に永住権を取得した台湾人です。当時は、カタコトの日本語と少しの漢字が読める程度。台湾語の漢字と日本の漢字は意味や形が違うことも多く、日本人とコミュニケーションを取るのは苦手でした。しかし夫や義理の両親の手助けもあり、日常生活で不自由を感じることはありませんでした。
そして結婚3年目で子どもを授かり、高齢出産と言われる40歳で息子を出産しました。当時、私が働いていたことや義実家にお世話になっていたこともあり、義理の両親に息子の世話を任せることが多くありました。そのおかげもあり、息子はすくすく成長していきました。そんな息子も結婚し、年子の男の子2人の父親になりました。
義理の両親が他界し、私と夫は息子家族に世話になりながら平穏な生活を送っていました。そんな息子の離婚が決まったのは、私が64歳のときです。元嫁に頼れる身内がなく経済力がないこと、何より私が孫と離れたくなかったことから親権は息子に決まりました。
しかし、問題は起きました。息子の子育てを義理の両親に頼っていた私にとって、孫2人の世話をするのは、初めて子育てをするようなものだったのです。当然、夫と息子は働きに行くため、日中の孫たちの世話は私がすることになります。年子の孫たちはやんちゃそのもので、毎日がてんてこ舞いでした。
幸いにもすぐに孫たちの保育園は決まりましたが、そこでもトラブルが。保育園の先生や孫たちの友達、その両親とうまくコミュニケーションが取れないことに気付いたのです。
保育園ではお知らせやその日の出来事を連絡帳を通じて知らせてもらうのですが、私は日本語を読むことも書くこともできませんでした。初めは、仕事から帰ってきた夫や息子に内容を聞いたり訳してもらっていましたが、毎日続けるには難しく、私自身も自分でどうにかしたいと考えるようになりました。
そこで私は、保育園に通う孫たちと一緒にひらがなを覚える練習を始めました。子どもの吸収力はとてもすごく、すぐに「ばぁば、これは『はる』だよ」と私に名前のひらがなを教えてくれるようになりました。また、保育園の先生からの連絡帳は、先生方の好意からすべてひらがなで書いてくれるようになりました。孫たちの友達も孫たちと仲良くしてくれて、その両親も私に気を遣ってゆっくりわかりやすいようにジェスチャーを混ぜて話したり、スマホのアプリを使ってコミュニケーションを取るようにしてくれていました。私はこの歳になって、新しい事を学ぶなんて思ってもいませんでした。しかし、周りの協力はもちろん、なにより大切な孫たちと一緒に新しいことを勉強することが楽しくて仕方ありません。
小学生になった孫たちは、毎日学校で新しい漢字を覚えて帰ってきます。私自身は孫たちのようにすぐに覚えることはできないし、日本語を話すのも孫たちの方が断然上手になっています。しかし、私はゆっくりでも新しいことを知ることが楽しいのです。今の私の幸せは、学校から戻った孫たちから学校での出来事や勉強を教えてもらうことです。
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