子どもがいない60歳。自分が生まれた意味を知りたいと思いとった行動

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ペンネーム:maro
性別:男
年齢:60
プロフィール:3年間の教師生活を経てのち依願退職、現在は作編曲や自主企画を主な活動に据えフリーで活動中。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

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結婚して今年で30年目。子供が居ない私は、自分がこの世に生まれ落ちた意味のようなものを知りたくなり、最近自分の先祖を辿る事が多くなりました。

母方の先祖について辿れたきっかけは、祖母の苗字。源氏の末裔であり、最終的には源頼政に辿り着く家だそうです。頼政と言えば武家の名門として名高い家柄、さらに歌人としても有名だという事ぐらいしか知らない遠い存在です。ただ、祖母が祖父との結婚前に撮影した写真を思い出すと、確かに素晴らしい着物と気品のある顔立ちだった記憶が甦ります。歌人の血筋だったからこそ私は、音楽の世界へ身を投じる事になったのかもしれないと考えると、悠久の時間を通り越して自分が存在できている安心感にも似た気持ちになるのを覚えるのです。

そして父方の先祖です。父が亡くなった時に菩提寺の住職さんから聞いた話によると、江戸時代頃、神奈川県にある生麦辺り一帯の国を治めていた殿様が巡視に来ると言うので、雨でぬかるんだ道に刈り取った麦を敷いて歩き易くしてあげたのだそう。そしてその行為を殿様がかなり喜ばれたようで、願いを聞いてくれることに。当時の先祖が願ったことが苗字が欲しいと勘違いされた事がきっかけで、今の苗字を名乗るようになったと聞きました。そして、その行為が知られた事でこの地域が生麦と呼ばれるようになったいうそうです。

さらに、今まで音信不通となっていた現在の本家筋にあたる親戚から、やはり家系を辿り私に連絡を頂いた事で色々な事が見えてきました。

祖父はフランス料理を最初に日本へ持って来た料理人だったそうなのです。帝国ホテルでの活躍とは裏腹に、親族の中ではあまり語られる事がなかった人でした。それと言うのも、本来我が家は本家筋にあたる家系だったのですが、甲斐性が無かった祖父の父親が原因で家計が苦かったのと、両親が早くに亡くなってしまったことで、祖父は叔母夫婦に育てられたのです。ただ、その叔母さんの夫がフランス人でかつコックをしており、家の中での日常会話はフランス語だったようです。また、そういう生活環境の中で育った祖父は、殆ど日本語が話せなかったようですし、シェフになってからはほぼ家に居ない状態が続いたため、親族の間ではあまり話が出なかったようでした。

そういう中で祖父を育てた叔母夫婦のお墓が、横浜の山下公園の近く、みなとの見える丘公園の脇に在る外人墓地で眠っているという事実を最近になって知ったのです。明治の初期に外国人と結婚をして、この日本で暮らし生活して行くというのは、現在からは全く想像出来ない苦労があった時代だったと思います。そして今、私まで繋がる家族を育ててくれた身近な先祖を知り感慨深いものを感じるのです。

過去を知る事で今を生き抜く。

自分には子どもがいませんが、この縁(えにし)を感じながら更に強く歩む思いを持ちました。

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