<この体験記を書いた人>
ペンネーム:大家ぽん子
性別:女
年齢:64
プロフィール:64歳の主婦です。嫁は無償の労働力じゃないんだぞ!
先日、同居の姑を看取った友人と話していた時「ぽん子さんは別居だし、あまり姑で苦労はなかったの?」と聞かれました。
確かに同居はしていませんでしたし、当時としてはさっぱりとした考え方の姑で、ねちねちいじめられることもありませんでした。
ですが、やっぱり嫁の立場は弱かった!
いまだに思い出すとモヤモヤすることがあります。
38年前、上の子が1歳になった、私が26歳頃の話です。
当時私たち夫婦は夫の社員寮住まい、電車で数駅のところに夫の実家がありました。
あまり遠くではないので実家からの通勤もできたのですが、通勤時間帯には大渋滞で会社まで時間がかかります。
夫は残業で夜遅くなることも多かったので社宅に住んでいたのです。
当時夫の実家は昼だけ営業する定食屋をしていました。
義父母は当時50歳くらいだったと思います。
ちょうど実家の近所に大きい工場ができたので、そこで働く人たちでかなり繁盛していたようです。
パートのおじさんを雇っていたそうなのですが、手が回りきらなくなり、私に「昼間少しだけ手伝ってほしい」と白羽の矢が立ちました。
私はその頃上の子どもが1歳になりたてで、まだまだ大変な時期でした。
ですが周りの自営業のお宅は、首も座らないような赤ん坊を抱えながら働くお嫁さんや、同居して夫の家族の世話と子供の世話を一手に引き受けるようなお嫁さんもたくさんいた時代です。
一日3時間程なので断りにくく、1歳の子をおんぶしながら働くことになりました。
近所の工場の休憩時間が始まる12時頃になると、本当に目の回るような忙しさでした。
客足が落ち着く2時過ぎになると、義両親は銀行に売り上げを預けに行き、私はお店の片づけ。
賄いを作り子供に食べさせ、眠くてグズグズの子どもをなだめながら食卓を拭いたり、鍋や食器の片付けをしたりしていました。
後で聞いたのですが、義両親は銀行に行った後、喫茶店や銭湯などで近所の友人と当時流行していた大相撲中継を見て盛り上がるのを日課にしていたようです。
どうりで帰りが遅かったわけだわ...。
お小遣いくらいは出るのかしら? と少し期待していましたが、もちろんただ働き。
周りの似たような立場のお嫁さんに聞いてみても似たり寄ったり。
朝から晩まで働いて家事もして無給の人もざらでした。
もう! 本当に40年前の嫁の立場って弱かったですね。
でも、お店に出て良いこともありました。
気分転換にはなりましたし、義父の知り合いの常連さんが1歳の娘をたいそう可愛がってくれたのです。
また、常連さんは義両親に「こんな小さい子連れて働かせてるの! 大変じゃない。お嫁さんに感謝しなきゃ!」とよく味方になってくれたのです。
それから義両親の気持ちも変わったのか、ほんのちょっとだけ待遇がよくなったような...そうでもなかったような...?
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