<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ワンタック
性別:女
年齢:52
プロフィール:義両親と同居する、関東在住のフルタイムで働く普通の主婦です。
かれこれ30年以上前、高校だった私は北陸に住んでいました。
洋服や髪形の流行りはティーンズ誌やテレビで見て知ってはいましたが、田舎にそんな洋服は売っていません。
ですが、地方と東京に流行の格差があるとは思っていませんでした。
「あれは歌手や芸能人が着る特別な服」だと思っていたのです。
その頃、ジーンズのオーバーオールにトレーナー、寒い日はその上から半纏を着て「田舎で浮かないけど、そこそこ可愛いファッション」をしていると自分では思っていた私。
高校卒業と同時に東京の学校に進学した「そこそこ可愛いと思っていた私」は、地方出身者と関東在住者の違いはファッションから違うということに気づきました。
3月の寒い日なのに「アノラック」を着ている人は新宿アルタ前に私しか居らず、同世代の子は今まで見た雑誌や、テレビのタレントそのままの格好をしているではありませんか!
みな、「ミハマ」の靴を履き、「キタムラ」のバックを持ってブレザーを着たハマトラファッション。
海外のブランドバックを持ってブランドのスカーフを巻いたニュートラファッション。
聖子ちゃんカットに花のイヤリングを付けたサーファーなど、とてもかわいいファッションをしていました。
(知らない人は検索してみてください!)
そこで、顔が四角く一重であっさりしていて渥美清さんによく似た私には、フーテンの寅さんにも通じるニュートラやハマトラが似合うと思ったのです。
しかし、仕送りやバイト代でニュートラやハマトラの高額な洋服は買えず、クラスの女子で一番主流だったサーファーファッションを目指しました。
他のサーファーの女子に倣い、初めての美容室で聖子ちゃんカットにしました。
耳にはピンク色の花のイヤリング、首には貝のネックレス、かわいいロゴの入ったTシャツにピンクのホットパンツを履きました。
自分で見ても違和感しかありませんでしたが、なんとか流行りのサーファーに近づけようと学生寮のベランダで水着を着て日焼けをして、涙ぐましい努力も続けました。
しかし流行の移ろいは早く、花と思っていたイヤリングはヒトデ型に、Tシャツと思っていたのがポロシャツに、とどんどん変わっていき、私の頭も財布も着いて行けなくなります。
髪を切りに行くお金も不足し、腕に覚えがあるという友達にカットしてもらうと左右で長さが全く違う髪形にされてしまう始末。
お金が貯まったら美容院に行こうと、帽子で髪を隠して学校に行くと、丸い黒メガネにもみ上げが全くないテクノカットの男子に声をかけられました。
「おお! 髪の長さが左右で違うなんてテクノじゃん」
この時、なんで「そう」と言ってしまったのか...。
そのせいで、翌日から肩パットの入ったモノトーンの服を着ることになり、私のファッションはさらに迷走していきます。
初めて都会のファッションにふれ、自分をダサい田舎者と思われないよう、流行りのファッションに心を砕く日々を過ごしていた30年前の私。
できることなら「やめときな」と言ってあげたい...。
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