<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ハチロク
性別:男
年齢:61
プロフィール:結婚生活30年の会社員。息子を見て、父子は似るもんだなと実感しています。
私は53歳の会社員です。
妻(51歳)とは結婚して30年になります。
最近息子(27歳)が彼女を連れてきました。
その彼女は整備士をしていて、息子がたまたまそこに車を預けたのがきっかけだと知り、妻と私はつい顔を見合わせて笑ってしまいました。
息子と彼女は首をかしげてしまっていましたが、妻が笑いながらその理由を伝えていました。
実は私と妻も出会いは車がきっかけだったのです。
30年ほど前、地元では公道でのレースが流行っていました。
あまり大きな声で言えたことではないのですが、いわゆる走り屋という人たちが居て、私はそれに憧れていました。
若気の至りだとは思うのですが、『走り屋=格好いい』という図式が私の中にあったのです。
当時私はハチロク(86)というトヨタの車を無理して買い、地元で有名な峠のある場所に走りに行っていました。
しかし、実のところ私は車の運転がお世辞にも上手い方ではなく、ある日、無理にステアリングを切って溝にタイヤを落としてしまいました。
もちろんタイヤはパンクし、その場で立ち往生するはめになりました。
私の車が邪魔で他の車が上手く峠を下りて来られず、私は他の人の走りを見に来ていたギャラリー達に野次を飛ばされ、それは恥ずかしくて気まずい思いをしていました。
しかし一人でパンクを直したことがなかった私は、かなり手間取り『早くしないと』と思えば思うほど手元が狂い、作業が進みません。
かと言ってそんな日に限って友人と一緒に行っておらず、私を手伝ってくれる人はいませんでした。
そんな状況の中、颯爽と現れて私を助けてくれたのが今の妻なのです。
妻は当時トヨタのスープラという車に乗っており、私の車の真横にタイヤの煙を立てながら急停止したかと思えば、運転席から降りてきて「手伝いますよ」と笑顔で言ってくれたのです。
恥ずかしながら私は彼女のそのドラテクと、優しく微笑みかけてくれた笑顔のギャップに一瞬で心を奪われてしまったのです。
当時地元には女性のドライバーも居たには居たのですが、彼女の走りは本物でした。
しかも高性能なスープラを乗りこなしていたこともあり、私たちの中ではかなり有名で人気もありました。
そんな彼女に運転が下手な私が話しかけるのも勇気がいりましたが、猛アタックの末、現在私の妻になってくれているというわけです。
情けない話、今でも実は妻の方が運転が得意なのですが、息子の連れてきた彼女が車の整備士ということで、おそらく息子より車のことは詳しいでしょう。
親子そろって車の得意な女性に惚れる傾向があるのか定かではないのですが、血は争えないのかもしれないと思い、つい笑ってしまった出来事でした。
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