<この体験記を書いた人>
ペンネーム:最大風速17メートル
性別:女
年齢:52
プロフィール:人は仕事をしないと毎日にハリがないんだと感じ始めました。
10年前、75歳で父が亡くなりました。
半年ほど闘病していて、最期の1週間は意識のない状態だったので、その間に家族は気持ちを整理することができました。
四十九日も過ぎ、父の遺品整理をしながら母と思い出話をしていた時のことです。
「そうそう、これはあなたに渡さなきゃと思っていたのよ」と母がB5ほどの大きさの茶封筒を持ってきました。
中には見覚えのあるポチ袋がたくさん入ってありました。
20年前、私の結婚を機に、お正月に父母へお年玉を渡すようになりました。
「おまえからお年玉をもらうようになったなんて、俺も年を取ったもんだなあ」
初めて渡した時、父は照れ臭そうに、でも嬉しそうに受け取ってくれました。
その後、子どもが生まれると、父に渡した額よりも多いお年玉が返ってくるようになりました。
「こんなにもらったらお父さんにお年玉をあげた意味なくなるじゃない」
「それとこれは別でしょ。これは〇〇(子どもの名前)ちゃんに、じいじから愛を込めて」
そう言って笑った父の顔を今でも思い出します。
3人子どもができたので、父からもらうお年玉は、私が父に渡すお年玉よりもずっと多くなっていきました。
それでも習慣のように私は父にお年玉を渡し、時々「何に使ったの? なんか買った?」と聞いたりしたのですが、そのたびに父は笑って「内緒」と言うだけでした。
母から受け取った封筒にはその20年分のお年玉が手付かずのまま、ポチ袋に入ったまま残されていたのです。
「お父さん、使ってなかったんだね......」
手に取ってみると、ポチ袋の裏側には父の字で「1997年□□(わたしの名前)〇〇(子どもの名前)誕生」などと毎年その年にあったことなどメッセージが一言書かれていました。
1番最後にお年玉を渡した時、すでに父は入院中でした。
お正月だけ一時帰宅していた父は「もうこんなのもらっても使えないよー」と言いながら、私からのお年玉を受けとり、そして私の子どもにそれぞれお年玉を渡していました。
「こっちこそ年金生活者にこんなたくさんもらえないよー」と笑い合ったっけ。
そんなことを思い出しながらの母との会話。
「これ、私がお父さんにあげたけど、そのまま返ってきて。それこそもう使えないよねー。ところでお母さんは? 使わずに残してあるの?」
「まさか! 友だちと贅沢なランチに行ったり服を買ったり、ありがたく使わせてもらいましたよ」
そうあっけらかんと話す母。
また2人で笑い合ったのでした。
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