<この体験記を書いた人>
ペンネーム:頼りない母
性別:女
年齢:45
プロフィール:若くして結婚し息子を産み、息子が物心つく前に主人が他界。二人で力を合わせてきました。
息子が「おなかが痛い」と言い出したのは、3日後に高校受験を控えた日の夕方でした。
滑り止めも受けずに一本に絞ったので、緊張し始めたのかと思っていました。
ですが夜には立ち上がることができないようになり、急いでタクシーで救急対応をしている病院へ。
唸る息子の背中をさすり、「大丈夫、大丈夫」と念仏のように繰り返しました。
診断は...
「盲腸破裂による腹膜炎」
医師の説明も耳を通り抜けるばかりでした。
小学6年の秋、息子が行きたい高校を決めたときからの4年がかりの努力が次々と思い浮かび、ただただ涙が流れました。
自力で体を支えられず車椅子に乗せられ、手術室に向かう息子。
声をかけなくてはと思いながらも、手を握る以外にどうしようもなく、ひたすらに押し寄せる不安がお互いの目に浮かびどうすることもできずに見送りました。
手術中も、術後病室に入りまだ目の覚めない息子を見ていても、浮かんでくるのは後悔ばかり。
なぜおなかが痛いといったときにすぐに病院に行かなかったのか......。
目が覚めた息子が、「俺、どうなってる?」と弱々しく声を出しました。
30センチほどの開腹手術をしたことも、1週間は絶対安静だということも、手術をしてから1日が経過していることも、どうやって伝えたらいいのでしょうか。
「少し一人にしてもらってもいい?」
明日は高校受験。
受けられなければ来年高校に入ることができない。
今一番不安なのは息子です。
少し売店を見てくるねと病室を出たものの、今から私が何をどうするべきなのかが全く見えず、廊下を行ったりきたりして時間をつぶすので精一杯でした。
ところが、しばらくして病室から私を呼ぶ息子の声は悲観したものではありませんでした。
担任と連絡を取ったそうで、病院の先生に事情を説明し、車椅子での受験は可能か確認して欲しいと言ってきたのです。
そして受験先の高校に連絡をしてこういう事例があればそのときの対処法はどうだったのか聞いて欲しい、と。
恥ずかしながらただ混乱して悲観していた私は、息子のその言葉ですぐさま行動を開始。
担任も駆けつけてくれて、受験先との話し合いでもやはり「明日の受験しかない」ことを確認しました。
しかし、医師は「虫垂を処置できるように穴が開いている状態なので、外出は許可できない」といいます。
息子は自分の夢、その学校しか受けていないこと、たくさんの人の協力をもらって明日を迎える万全の準備でやってきたことを医師と看護師に話しました。
その日の夜、医師が病室へ。
一時的におなかの傷を閉じる手術をする、それでも明日の朝の体調次第になるが、外出を許可できる確率は20%くらいだと思ってくれと言ってくれました。
息子はここでようやく涙を流し、「ありがとうございます!」と神様でも拝むように手を組みました。
希望の光が見えました。
翌日。
看護師が一人帯同してくださり、担任の押す車椅子で新幹線に乗り1時間。
タクシーで30分の受験会場につくと、高校の先生が二人出向かえてくれて受験教室まで車椅子を押してくれました。
3時間ほど外で待ち、受験会場から車椅子で押されて出てきた息子。
まっすぐ座っていられないほど消耗していたものの、ぐっと親指を立ててにっこりと笑い、私たち三人はまるで合格したかのように手を取り合って歓声を上げました。
1月の手術から、退院ができたのは3月の卒業式直前。
息子の通知表には3学期の欄に測定不能の大きな斜線がついていましたが、先生からの言葉には「どんな逆境にも負けないことを証明しました。人のつながりに感謝して成長を続けていくことを期待しています」と。
そんな息子も、今は社会人になりました。
あの怒涛の日々を支えてくれた医師、看護師、担任の先生に、毎年帰省をするたびにお土産を持って会いにいっています。
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