<この体験記を書いた人>
ペンネーム:むらまゆ
性別:女
年齢:44
プロフィール:専業主婦。夫は46歳の公務員、息子は17歳の高校生です。夫とは職場恋愛です。
2021年に入り、夫が健康保険の冊子を持って帰ってきました。
何気なく冊子をめくって「乳がんの早期発見講習会」という箇所を見ていると、ある人の名前を見つけました。
その瞬間、体中に寒気が走り、ある出来事を思い出してしまいました。忘れていたはずなのに。
私は夫と同じ職場で高校卒業後から5年前まで働いていました。
2003年始め、私は初めての妊娠をしました。
しかし心音確認がなかなかできず、出血もあったため、医師からは「妊娠反応はあるけれど、継続は難しいかもしれない」と言われてしまいました。
肉体的にも精神的にもきつく、病院通いも続く状態で、職場には迷惑をかけ通しでした。
当時の職場は、男性女性関係なく深夜までの残業は当たり前だったのです。
早く帰る私を、みな快く思っていなかったでしょう。
ある日、出勤途中の電車の中で下腹部に酷い痛みを感じました。
しかもその時、運悪くなにかの電車事故があったようで、電車の中に一時間近く閉じ込められてしまったのです。
多分陣痛だったのだと思います。
その後は這うように職場へ行った後、病院へ行きましたが、結局流産してしまったのです。
夫に連絡をした覚えも、どうやって帰ったかも記憶がありません。
その後職場に連絡して1週間の休みをもらったのですが、その間は、近くの神社の神様に土下座をしにいったということをうっすら覚えているだけで、他は記憶があやふやです。
そして一週間後出社したのですが、昼食時、とんでもない言葉が聞こえてきました。
この例の女性職員(当時未婚)が、おそらく私がいることを知っているにもかかわらず、みんなの前で大きい声で言ったのです。
「流産して一週間休めてうらやましい。休めるなら私も流産したい。それにあんな人のところに生まれなくてよかったんじゃない? むしろ流産おめでとうだよね」
泣いたか泣いていないか覚えていません。
ただ呆然としたのを覚えています。
怒りやいろんな感情が死んでしまいました。
その後の4月、再び妊娠が分かりました。
それが今年18歳になる息子です。
うれしいのですが出血も続き、「また、流産したら子供が産めなくなるのでは」と考えて不安になるため、安定期になるまで病院通いが続きました。
その後も悪阻が酷かったりと、産休に入るまで気が気ではなかったです。
しかしちょうど年度替わりのタイミングで仕事量が減ったので、なんとか勤めあげられました。
そして、この時の妊娠時、例の女性職員も結婚・妊娠をしました。
それもあったからでしょうか、あの時のような陰口は言われませんでした。
今から5年前、私は体調を崩し退職しました。
そして今回冊子をみて、あの女性職員のことを思い出してしまったのです。
今は夫も部下を持つ役職者になったので、絶対に私が言われたようなことは言ってはいけない、言わせてはいけないと伝えました。
あまりにもひどい記憶なので、再び忘れようと思います。
流産した子供の事は生涯忘れませんが。
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