<この体験記を書いた人>
ペンネーム:はるな
性別:女
年齢:56
プロフィール:伯父の長男である22歳の年上の従兄と叔母の面倒をめぐり戦ってきた12年間。やっと決着がつきました。
従兄とは、私が27歳だったとき父のお葬式に会ったきりで、その後は音信不通状態でした。
その従兄と再会したのは、12年前に叔母が施設に入所するときのこと。
ある朝、電話が鳴り響き、朝から何事かと電話に出ると、叔母の家の近くに住む従兄からでした。
叔母が暴れて様子がおかしいと叔母の大家から電話があったので、一緒に叔母の様子を見に行って欲しいとのこと。
叔母は結婚の経験もなく、身内といえば私や従妹を含む甥と姪の9人のみでした。
叔母の自宅までは、車で約1時間半です。
早速、従兄夫婦と母と4人で叔母の自宅に。
叔母は、何変わりなく落ち着いた様子でしたが、また同じようなことがあってはと、今後の叔母の面倒について私と母と従兄夫婦で話し合いました。
従兄は、叔母から特別に可愛がってもらっている私が面倒を見るべきだというので了承しました。
すると、叔母は皆の前で私に全ての預貯金の通帳を渡しました。
私は中身を見て、これだったら、叔母をそれなりの施設に入所させてあげられると思いました。
従兄は興味深そうに「いくらぐらいあるの?」と聞いてきたので、「5,000万円くらいです」と答えました。
するとなんと従兄は「やっぱり、こちらで面倒見るよ。だってお宅は遠いし。叔母さんも住み慣れた街がいいだろう」と。
私は、その豹変ぶりに唖然茫然でした。
その日は叔母も落着き、土曜日でもあったので、月曜日に病院に連れていくことで、とりあえず私と母は叔母のすべての預貯金の通帳を預かり帰りました。
すると、月曜日の朝早く従兄から電話があり、自分が叔母を病院に連れて行くとのこと。
それからの従兄夫婦の行動は早く、医療機関に関する叔母の保護者になり、叔母は「アルツハイマー型認知症」と診断されたことで、とりあえず病院に入院させました。
その後従兄は、勝手に叔母の自宅の家探し。
また、お金が必要なので、公証役場で任意後見契約の手続きをするから、すべての預金通帳を持ってきて欲しいというのです。
それで、一緒に公証役場に行きました。
任意後見契約が何かは分からなかったのですが、公証人が「ただ叔母さんの医療費や生活費を代わりに支払ってあげるだけですよ」と言うので、「年金の通帳だけを渡せばいいですね。」と言うと、従兄が「それはすべて渡してもらわないと困る」と。
ですが公証人も年金だけの通帳だけでいいと言うので、それには従兄もかなり不服そうでした。
それからすぐに、従兄は叔母を施設に入所させましたが、費用を削ったのかお世辞にも言い環境とは言えず、従兄の家からも遠い場所。
私は「協力するのでもっと設備の整った施設に入所させよう」と提案しました。
しかし従兄は、「叔母は認知症だから、そんな無駄なお金は遣う必要がない」というのです。
どんなに分からなくても叔母のお金は、叔母のために使う物だと私が言い張ると、従兄は「うるさい」と凄い剣幕で怒鳴ってきました。
人が変わったようなその様子を見て、恐怖をおぼえました。
それ以来私にできたことは、認知症が段々とすすむ叔母を見舞い、2、3時間一緒に過ごすことの繰り返し。
「もっといい施設で過ごせたらいいのにね」と思いながら5年後叔母は他界しました。
その後は、叔母の遺産相続で従兄と争うことに。
私達の法定相続分割法の言い分に対し、従兄は「自分が面倒をみたのだから半分はもらう。残りの半分を8人で分割すればいい」と言い張る始末。
あまりに悔しく、法律で解決しようと調停へ申し立てました。
そこで分かったのは、従兄は認知症の叔母に代わり手続きをして700万円の年金保険も手にしていたこと。
その後、年金保険の700万円の返金と法定相続での遺産分割をめぐり裁判をしましたが、7年間の戦いの末、私達の言い分がすべて認められました。
しかし、その判決の少し前に従兄は他界しました。
従兄にとって、叔母はお金でしかなかったのか。
とても寂しい結末です。
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