「ママ、おじいちゃんのところに早く行こう」と、子供に言われ...。看取れなかった義父の最期

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:くあら
性別:女
年齢:53
プロフィール:1日も早く世界が行き来できるようになって欲しい50代。

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義父は10年ほど前に60代後半で亡くなりました。

その約1年前に実父を亡くしていたので、続けての不幸に当時の私の精神状態は普通ではなかったかも知れない、と今では思います。

結婚当初から義父はとても気さくな人で、いつも冗談を言い、休みの日にはお酒を飲み、パチンコを楽しむ人でした。

私に対しても堅苦しいところが全くなく、私もお酒が好きだと分かるとどんどん勧めてくるし、夫と3人でパチンコへ行くのが休日の過ごし方のようになっていた時期がありました。

義母はお酒もパチンコもしませんでしたが、義父と同じで気さくで、子供達が小さかった頃、孫の世話はするからどんどん遊びに来てくれて構わない、と言ってくれたのです。

いつしか義母と孫、義父と私達夫婦で過ごすのが当たり前になっていました。

そして定年間近になった頃にはいつしかパチンコをすることが減り、趣味が家庭菜園へとシフトしていった義父。

私たち夫婦も時折収穫を手伝ったり、その野菜で料理して酒のアテを作ったりして、義父とお酒を楽しんでいました。

義父が体調不良を訴えたのは定年から2年ほど経った頃でした。

頼まれて別の同列会社に再就職したものの、体がしんどいので辞めようかどうしようかと思っている、と言いました。

珍しく弱気な義父を心配して精密検査を勧めたところ、ガンが見つかりました。

医師と治療方法を相談し、手術して取り除けばまた元の生活に戻れると信じて、手術に挑みました。

病院へ行くまでは、多少の具合の悪さは訴えていても、食欲もありお酒も同じように嗜んでいたのです。

年齢的にも手術さえ成功すれば、まだまだ何十年も暮らしていけると家族全員が思っていました。

ところが手術が終わり、10日ほどで退院し、自宅で療養しながら週に1度通院し始めてから3カ月が経っても、義父はどんどん痩せていくばかりでした。

回復の兆しが見えず、再入院の結果転移が見つかりました。

そこからはあれよあれよというまに弱っていき、初めて病院に行ってからわずか1年ほどで帰らぬ人となりました。

いよいよ危ないと義母から連絡があり、一足先に夫が病院へ向かいました。

私は2人の子供が学校へ行っていたので、その帰りを待ってから行くことにしました。

子供の帰宅を待ちながら、頭にモヤがかかったような状態で、何を持って行ったらいいのか、喪服を用意すべきなのか、考えがまとまらず手をこまねいていました。

夫と連絡を取り合いながらも、スローモーションのようにしか動けない自分がいました。

1本でも早い電車に乗るべきだと頭では分かっていても、家の片付けをしたり、掃除機をかけたり、今しなくてもいいことばかりしていたのです。

子供に「ママ、おじいちゃんのところに早く行こう」と言われて我に返ったことを覚えています。

電車の中で「今亡くなった」と連絡が入り、なぜかホッとしていました。

病室で対面しても現実に思えず、全てが終わってからようやくジワジワと悲しむ気持ちが湧いて来たのです。 

1年前にはあんなに元気だったのに。

手術しなければもう少し長く生きられたかもしれないのに。

検査を勧めたのは間違いだったのかも。

ぐるぐると考えが回りました。

現実を受け止められずに最期に立ち会えなくてごめんなさい。

今も義父の優しい笑顔を思い出します。

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