アメブロで「~こんな事を言っちゃあなんですが!~」を運営しているかづと申します。
結婚35年目。現在は夫婦二人と4ニャンとで暮らしています。
前回に続き、私の父と母についてのお話しです。
前回の記事:衝撃の告白。家族を残して毎年旅行に出かけていた父の秘密/かづ
私の母は、子供に手が取られて忙しい時期は、それこそ父が毎晩飲みに行ってくれている方が手間が無くてイイと考えていたようだ。
父は決して家庭を顧みない訳じゃなかったし、飲みに行っても寿司だとか焼き鳥だとかをお土産に持って帰っていた。
夜中の3時に父が寿司を持ち帰り
『かづ〜♪
アナゴの箱寿司や!!
ホラッ!!起きぃ!!』
と言って起こされ、眠くて食べられなかったら
『お前らは、せいの無いやっちゃの〜』(やりがいの無い奴と言う意味)
と言って、すねて寝てしまう。
母も私たちも、本当にヤンチャな父だと思っていた。
子供が小さい頃は、母は子供に一心になっていた。
今から考えると、別にそれは子育てに集中した訳でもなく、ただの依存であったのだ。
私は小学2年生で既に夕食を作っていたので、父は母をよく叱っていた。
『娘に家事させて、お前は何でサボってるんや!!』
と、父が怒鳴り
『女の子に家事させて、何で悪いんや!!』
と、母が口答えする。
もっともな話なのだが、実は母はこの時既にアルコール中毒になり掛けていたのであった。
昼間子供たちが学校に行っている間、何もする事が無い母の頭には、昨夜父がどこの店で飲み、どこのママと楽しくしていて、店が終わってからママとどこに行ったのか、そして何時に帰って来たのかなど、悶々としていたのだと思う。
元々飲める母だったので、次第に酒に逃げるようになる。
最初のうちは、子供が学校から帰って来るので、後に残る様な量ではなかった。
けれども、次第に量は増え、『娘に家事を教える』のを口実に、子供たちが学校から帰っても布団の中で寝ている事が多くなった。
子供心には、母の具合が悪いから手伝わなくてはならないと言う気持ちが大きく、おまけに年子の弟と生まれたばかりの8歳下の弟の事が有ったので、お姉ちゃんとして頑張らなければならなかったと言う思いがあった。
私と年子の弟が中学生になり、下の弟が幼稚園に入った頃くらいには、母はだいぶ酒から離れていた。
幼稚園の役員やなんやで、しょっちゅう人と会う機会が多くなり、飲んでいる訳にも行かず、飲んでいる暇も無くなった訳だ。
昼間に役員や幼稚園から電話が有っても、へべれけに酔っ払っている訳には行かない。それに、その幼稚園は保護者が園まで直接送迎しなくてはならない所だった。酒のにおいをさせて迎えに行く訳には行かなかったと言う事だ。
何はともあれ、酒から離れる事にはなった。
私と上弟は中学だし、下弟は幼稚園で送り迎え。
徐々に、普通のどこの家庭にも居る母親になっていった。
ここで私は思うのである。
母は父より8歳年上だったので、上手に甘える事が出来ず、自分がこのヤンチャな夫をヨシヨシとしてやる事が、年上妻の腕の見せ所だと思ったのではないかと思う。
泣いてすがって引き止めるのは、年上妻としては恥ずかしい事だと思ったのではないか。
要するに、8歳も年下の夫なのだから少々遊びもするだろうと、デンと構えるのが年上妻の貫禄というものだと思っていたのだろう。
けれども心は正直で、頭では懐の大きな年上妻で有りたいと思うものの、『どうして毎晩よその女の店に行きたいんだ!!』と、わめき散らしたい衝動を抑えるのが酒になったと言う事だったんだと、私は思う。
私が結婚した年には、年子の弟が高校を卒業し、他県の寮住まいになる為に家を出た。
母としてはいっぺんに寂しくなった年でもあったのだ。
しかしながら、私に子供が出来たので、孫の面倒を見る事を楽しみにした事で平和が保たれた。
そんな母が酒に戻ったのは、私が里帰りから自宅に戻ってからすぐだった。
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