<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ちーさん
性別:女
年齢:62
プロフィール:現在は60歳の主人と二人暮らし。一人息子は結婚して同じ市内に住んでいます。
先日義母が他界しました。
悲しさと開放感が入り混じった不思議な感覚になりながら、介護が始まった頃のことを思い出します。
約30年前の話ですが、当時62歳の義母は糖尿病で一年間入院をしていました。
入院前はアパートで一人暮らしをしていましたが、何やら事情があったようで住んでいたアパートに戻れないということでした。
当時主人は30歳、私は32歳。
若い時に結婚をして10年が経っていました。
ですが、主人は父親を3歳の時に亡くし、母親のことも話したがらなかったため、私は義母の状態をあまりよく知りませんでした。
その頃、私たちは頑張って働いたかいがあって、マイホームを建てたところでした。
引っ越しを済ませ、やれやれと落ち着いた頃に主人が放った一言は忘れられません。
「おふくろを連れて来るから!」
「え!?」
突然だったので驚くばかり。
ワンマンな主人は一度言い出したら聞かないので、渋々認めるような形です。
私としてみれば息子も1人いて、仕事も持ち、毎日が大変だったので、正直、良い気持ちはしませんでした。
義母は貯金も無いし、年金も納めていないと言ったので、私は義母を連れて役所に調べに行くことにしました。
役所の人は、いきなり義母に「あなたみたいな人は誰にも相手にされないよ」とキツイ一言。
そんな言い方しなくても...とは思っても、私も若かったので言い返すこともできず帰宅し、年金0円義母との同居生活が始まりました。
毎日糖尿病の義母と息子のお弁当を作り、仕事に行き、帰宅をして夕食の支度をするという大変な日々の連続。
やがて息子も育ち、大学生になると同時に家を出たのですが、ちょうどその頃に義母は糖尿病が悪化、入退院を繰り返すようになりました。
主人と義母にとってどういう状態が一番良いのか考え、本人の意思を尊重しながら具合が悪くなるたびに病院や施設を探しました。
義母はただ「悪いね、悪いね」と言うばかりでした。
その後も入退院を繰り返した義母は、同居から約30年後92歳で亡くなりました。
義母は生前、私に「あなたは神様のような人」と言ってました。
ですが、私は神様ではありません。
当時はこれを乗り越えないと、私達夫婦が老後を迎える頃に幸せな気持ちになれないのではないかと思ったのです。
主人は今、仕事が休みの時にはもうすぐ90歳になろうとしている私の母のことを連れ出して、買い物に付き合ってくれます。
「お母さんを大切にしろよ」と言ってくれます。
そして小さな声で「お前には迷惑をかけたからな」と。
あのワンマンな主人が。
介護や病院代などにお金もたくさん使い、時には投げ出したくなるような日々もありました。
しかし、どんなことでも乗り越えていくとこれで良かったのだと思える、そういう経験をさせてもらえたと思っています。
答えをむやみに求めたりせず、ただ真っ直ぐに進むしかないということもあるのだと学びました。
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