<この体験記を書いた人>
ペンネーム:大家ぽん子
性別:女
年齢:65
プロフィール:65歳主婦です。1歳年上の夫と猫と暮らしています。
65歳主婦です。
我が家と87歳の母が暮らす実家のある県は少々距離があり、ここ1年は訪問も控えています。
24歳で結婚して実家から離れて41年になりますが「もしかして、母は兄たちに比べて私への関心が薄かった?」と思い当たってしまう出来事がありました。
一昨年末、父の法事で実家を訪れた時、ついでに物置の整理をしました。
不要なものをより分けていると、せんべいの大きな空き缶から私たちの幼い頃の通知表が出てきました。
ガリ版刷りに、黄色く変色してところどころボロボロの紙。
「うわー! 懐かしい! こんなものもとっておいてくれたんだ」
嬉しく思いながら、破かないようにそっとページをめくりました。
今も名前を憶えている、初めての担任の名前も懐かしく、ついつい見入ってしまいました。
同じ箱には兄たちの通知表もあり、何気なくめくってみると「えっ...?」と手が止まりました。
母は、兄達の通知表には欄外にびっしりコメントを書いていたのに、私の通知表にはほとんど何も書いていませんでした。
私が子どもの頃の通知表には保護者コメント欄はありませんでしたので、書く必要もなかったので全く気づきませんでした。
その他残してあった習字の半紙にも、兄たちの分には欄外に「〇〇先生にも褒められる、〇の字が良い」など走り書きを残していました。
そういえば、私の分は作品自体、兄たちに比べて残っている数も少ない...。
今になって振り返ってみると、私は兄たちと比べると、小さな頃からほめられたり怒られたりしたことがほとんどありません。
当時、母が忙しいことが子ども心に分かっていましたし、兄たちによくかまわれていたので寂しいと思うこともありませんでした。
兄たちは反抗期には母とよくケンカをしていましたし、就職先などの進路も「県内に残らないのか」などとよく言い合いをしていました。
一方で私はといえば、進路を選ぶ時も母からはほとんど何も言われませんでした。
結婚後はたびたたび夫の転勤もあったので、母とは季節の贈り物をしたり、たまに電話でご機嫌伺いしたりする程度の仲でした。
私の年齢だと、少し田舎のほうではまだ昔の価値観が色濃く残っています。
「女の子は家には残らない、嫁いだら嫁ぎ先の家の人間になる」
私の父母世代だと特にそういう考え方でしょうし、私も疑問を持つこともありません。
でも、母が兄たちと私に注いでいた子育てへの熱量の差を、子ども時代の通知表で気づいてしまったのです。
還暦を超えて「あれもこれも、もしかして母は私に関心がなかったの?」と思い悩むのはバカバカしいと思う人もいるかもしれませんが、気になるものは気になるのです。
今まで、何かと慌ただしく母に真意を聞けませんでしたが、次会った時に母の真意を確かめたい気持ちと、知りたくなかった本音を聞くかもという怖い気持ちと、半分ずつです。
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