物価は上がるのに給料は上がらない。私たちは政治のせいで損している?/幸せに生きるための政治

政治の問題でいつも思うのは、ケタが大きくなりすぎると、多くの人たちはワケがわからなくなって思考停止になりがちなこと。

似たものをいくつか比較してみるとわかりやすいと思います。たとえば、児童手当は年間総
額1.3兆円です。国立大学80校超に出している運営費交付金がだいたい1兆円くらい。それから防衛費が約7兆円で、これが今後倍増となる。

みなさん納得できる感じでしょうか? 庶民がないがしろにされ、「日本はなぜ暴動が起きないんだ?」という人もいますよね。政策の知識不足と諦めを心配しています。

ぼくがよく引き合いに出すのが、内閣府がずっと実施している「社会意識に関する世論調査」です。この中に「国の政策に民意が反映されていると思うか」。つまり、自分の1票が政策に反映されていると思うかを問う設問があります。これが、一貫して「ノー」なんです。

昭和の時代から現在に至るまで、とにかく低い。政権はほとんど関係ありません。

この結果を解釈すると、多くの人たちは、「われわれの国の政策に、民意は反映されていないと認識している」ということです。

だからなにもしない。投票率も低いけれど、かといって打ち壊しもない。ある意味フシギですが、よくも悪くもそういう社会になっています。

いってみれば政治に対する「諦念」、諦めの気持ちみたいなものに覆われているのだと思います。「政治的有効性感覚」といいますが、自分の1票が政治を変えることはないと思っている。そうすると投票率も低くなりがちですよね。

その一方で、「社会に対して満足か否か」を問う調査では、「満足している」という回答が、「満足していない」という回答を2016年以降、ずっと上回っています。不満ですらない。

たとえ政権が腐敗していても、毎日そこそこの暮らしができればいい。政治に興味を持たなくても、ある程度みんなが幸せに暮らせていることの証左でしょう。

では、投票率が高くなるのはどんなときかというと、小泉純一郎元首相の郵政選挙のとき。もう1回は、民主党への政権交代のときです。郵政選挙は小泉氏という特異な人による劇場選挙みたいなものであまり気にしなくていいと思いますが、本当に政権交代が起きうると多くの人が思う本格政党が出て来れば、われわれも期待して投票に行くことは明らかです。

でも、立憲民主党などの野党も、結局、共闘するのしないのと本気で政権を取りに行く気がなさそうですよね。その間隙を縫うように日本維新の会や左右の極端な意見を主張する新興政党が出て来たというのが今の政界の状況ではないでしょうか。

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※本記事は西田 亮介(著), 池上 彰(責任編集)の書籍『幸せに生きるための政治』(KADOKAWA)から一部抜粋・編集しました。

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