部屋を整理整頓するために、ネットや雑誌で知った「収納用品」をたくさん買ってきて意気揚々!やる気に満ちて片付けをし始めたのに、終わってみたら結局レイアウトが変わっただけ、なんて経験ありませんか?
本書『モノを元に戻す技術』では、ベストセラーとなった『シンプルに生きる』の著者であるフランス人作家が、実際に日々行っている「片付け術」を惜しみなく紹介。「どうしたらスッキリ片付いた毎日を送れるのか?」迷える子羊を救う、片付け術の全てを伝授します!
◇◇◇
前の記事「ていねいに、ゆっくり生きる。 片付けとは「自分を知る」こと/フランス流片づけ(8)」はこちら。
整理整頓することは、自分の感覚に注意を払うこと
人生はたった一時間でも退屈するには短すぎる。
ジョルジュ・クールトリーヌ
片づけることは、掃除すること同様、喜びの源泉となりえますし、またそのあいだ自分だけに向き合う瞑想の時間となりえます。急がず、自分の所作の一つひとつを、自分のもの一つひとつを意識することで、歩みを緩めることができ、幸せは、不確かな未来にあるのではなくそこここに、自分の前にあることに気づくことができます。
片づけは、私たちがこの行為をしっかり意識してほかのことを考えずに取りかかった場合、私たちを現実の今の気持ちにつなげてくれます。現在のなかに感じることで、幸せだと思うことができるのです。あなたが濃い、幸せな思い出を求めて記憶を探ったら、高い確率で「本当に生きている」と感じた瞬間だったはずです。
それはあなたのお母さんとパンの生地をこねることだったかもしれないし、さわやかな草原を裸足で歩くことだったかもしれません。あるいは、古道具屋で古い家具に蝋を引くことだったかもしれません。片づけにはそれ自身、気持ちを和らげストレスをなくす力があるのです。
片づけとは、自分の感覚を別なふうにとらえるチャンス
見るときは、見ること以外があってはなりません。
聞くときは、聞くこと以外があってはなりません。
感じるとき、味わうとき、触れるときは、
感じること、味わうこと、触れること以外があってはならないのです。
仏教の教え
自分自身に向き合うということは、自分の内にいることであり、自分の身体の感覚に触れ、自分のモノに触れるということです。それはその素材やにおいを感じ、焼き物のざらつきや革の香りを再発見することです。現在の行為のなかで十分に生きるということなのです。
つまり、自分の感覚を開き、私たちのまわりの世界やその物音、形、色、感触を意識することです。自分の目だけでなく、すべての感覚を総動員してものごとを再発見することなのです。
あなたの手がセーターをつかんだら、その柔らかさを感じるでしょうか?
あなたの手がクリスタルのグラスを持ちあげたら、その軽さに驚嘆するでしょうか?
科学者たちは、私たちが手のひらであるモノの存在を確認したときに引き起こされる感覚を、私たちが意識した瞬間、鼓動がゆっくりになることを発見しました。演説家はこの技術をストレスをコントロールするために利用しています。フェルトペンやマイクをつかみ、手に引き起こされる感覚に注意を払うだけで、鼓動や呼吸がゆっくりになるのです。すると、声はより深くなります。それは、彼らがより集中し、自分がより信頼できると感じるからです。
身体的な感覚を意識することで、美しいとは思うものの不快な感覚を伝えるモノを取りのぞけるようになります。たとえば、あなたが持っている花瓶のなかに、きれいだけど長年使っていないものがあったとします。それを目の前に置き、よく見てください。それからそのイメージを忘れようとしてください。そして両手に取ってください。
あなたの指先や手のひらは何を感じますか?
その花瓶に感謝し、お別れするときのように感じましたか?
だとすれば、手放すときです。視覚より触覚でモノについて判断してみてください。
整理された部屋に暮らすと集中できる
片づけることは、
結局は混乱や混沌に侵略されるがままにならないということになる。
オリヴィエ・ドゥヴィル(臨床心理学者および精神分析学者)
ご存じのように、散らかりは集中力を弱らせます。その結果、計画は進みません。なぜなら、ものごとを中途半端にしかできないし、心のなかは、停滞している、いや後退さえしているという不快感にいらだつからです。絶えず過去(散らかり)と未来(しなければならないこと)を「行ったり来たり」することに疲れ、散らかった空間に暮らしている人にとって、現在は存在しません。
反対に、整然と明るく清潔で、散らかりによって視覚的に「汚染されて」いない環境にいると、集中することができ、構成のしっかりとした明晰な考えを持てます。そうした場所で時間を過ごすと、その瞬間の仕事に100パーセント専念することができるのです。身体や心が休息を必要としたら、多くの喜びをもたらしてくれるこの整理整頓された空間に行けばいいのです。