部屋を整理整頓するために、ネットや雑誌で知った「収納用品」をたくさん買ってきて意気揚々!やる気に満ちて片付けをし始めたのに、終わってみたら結局レイアウトが変わっただけ、なんて経験ありませんか?
本書『モノを元に戻す技術』では、ベストセラーとなった『シンプルに生きる』の著者であるフランス人作家が、実際に日々行っている「片付け術」を惜しみなく紹介。「どうしたらスッキリ片付いた毎日を送れるのか?」迷える子羊を救う、片付け術の全てを伝授します!
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だらしない人は、自分が人生を複雑にしていることがわかっていないのです。彼らはこうした実践的な技を備えていないのです。場を共にした人に不快感を抱かせていることにも気づいていません。つまり、片づけは個性の問題であるだけではなく、自己管理の問題でもあるのです。なぜなら、自制心があることを示すというのは、まさに自分の行動の一つひとつに責任を持ち、それを最後まで成し遂げることができるということだからです。
使用したら歯磨き粉のふたを閉め、歯ブラシと一緒に元に戻すのと同じことです。すなわち、何よりもまず、自分の行為や行動の結果をはっきりと意識することです。それは、「そこにいる」こと、存在していることです。それはいつも(過去も未来も)、「他人任せで」生きるのではなく、今この瞬間にしていることを、それがたとえその後に行うことほど重要ではなくても、自覚することです。
整理整頓は文化の問題
私の住む京都では、どの家の玄関も、お店、お寺の敷地も、丹念に配置され、整理され、片づいています。まるで市が「世界一きれいな場所コンテスト」を主催したかのようです。もし西洋の精神科医がこの街に来たらおそらく、全住民があまりに片づけに神経質だと言うでしょう。
ところが、ここでは整理整頓は文化の一部なのです。何よりもまず精神と身体の自制心を説く禅に強く影響を受けた文化です。それは、整理整頓が文化の問題でもあるという証です。
西洋では、掃除を使用人や従業員にしてもらいます。お金がある人たちは、家を片づけるためにお手伝いさんを雇うのです。しかし、次のことを思いだしてください。片づけはかつて道徳の問題でした。むだ遣いを避けなければならないことや、線を引いて削除したりせずに、きちんと美しい字で書かなければならないことと同じく、片づけなければならなかったのです。
道徳は理解するものではありません。そうではなく、ただ単に、個人的観点からも社会的観点からもよりよく生きるためにあるのではないでしょうか?
整理整頓された家は、混沌とした外の世界に対する防備
整理する、捨てる、選ぶ......。
片づけは、多くの場合、
不安や無力に対する最善の防御手段である。
Psychologies Magazine(心理学雑誌)の記事(2013年1月)
片づけることによって自分をいたわることができます。自分の心のなかが健康なとき、身体のなかも健康です。そして身体のなかが健康なとき、思考はクリアになるのです。私たちは極めて混沌とした時代に生きています。大規模自然災害、経済的不安定、世界中の社会変化......。さまざまな情報が日々、私たちに世界の混乱を感じさせます。
だから、せめて自分の小さな個人的縄張りだけでも整理することは、安らぎや安定、幸福の場を作ることになるのです。片づいた家は落ち着きます。オリヴィエ・ドゥヴィルが言うように、片づけることは、結局は外の世界の混乱に侵略されるがままにならないことだということになります。自分を守るに等しいのです。
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