定期誌『毎日が発見』で好評連載中の、医師で作家の鎌田實さん「もっともっとおもしろく生きようよ」。今回のテーマは「命を支えるということ」です。
人間らしい生存を目指す「生存科学」
武見記念賞を受賞しました。
この賞は、1957(昭和32)年から日本医師会長を25年にわたって務めた武見太郎氏が提唱した「生存科学」を広めるために創設されたもの。
生存科学とは、ひとり個人の生存のみならず、同時代の地球上のすべての人々、そして世代を超えて人類のより健全な、より人間らしい生存を目的として、既存の科学、それも自然科学のみならず社会科学、人文科学、さらには哲学、宗教、芸術までを含めた全人間的知識の見直しと統合を科学的に行おうとするものです。
ぼくは、この生存科学の実践者ということで、12月に武見記念賞を与えられました。
贈呈式では、受賞記念講演を行い、ぼく自身のこれまでの活動を振り返るいい機会となりました。
今回は少し形を変えて、読者のみなさんに、ぼく自身がどのように生存科学を実践してきたかを紹介したいと思います。
先進的包括的な地域医療
脳卒中の多い医療費の高かった地域を健康にしようと、年80回、地域に出向いて健康づくり運動を行いました。
介護保険のない時代、寝たきりになった人たちを「おふろに入れちゃう運動」を行い、その後、日本で初めての障害のある高齢者を対象にしたデイケアをつくりました。
諏訪中央病院では救急医療や高度医療を充実させるとともに、命を支えるために、在宅ケアを行い、末期がんの患者さんたちの緩和ケア病棟をつくりました。
公民館で開いた健康づくり講演会。
どんなときも希望をもつ
障害のある人たちに夢をもってもらおうと、バリアフリーツアーを企画しました。
年2回、200~300人の病や障害のある人たちがボランティアの介助を受けながら、ハワイや台湾、日本各地の温泉に行きました。
バリアフリーツアーでの記念写真です。
一人ひとりの物語を大切にする
緩和ケア病棟で、進行がんの高齢の女性が理学療法士と歩く訓練をしていました。
肺にがんが転移して呼吸困難があるので苦しそうでした。
「ばあちゃん、がんばらなくていいぞ」と声をかけると、「余計なこと言わないで。私にはやりたいことがあるんだ。だから、苦しくても納得してやっている」と一蹴されました。
話を聞くと、女性は家に帰って、今年の梅を漬けたいとのこと。
そのためのリハビリだったのです。
この5日後、女性は帰り、娘や親戚、近所の人たちに手伝ってもらい、最後の梅漬けをしました。
「この梅が漬かるころには、私はこの世にいません。でも、その梅をみんなが味わってくれればいいんです」と納得していました。
リハビリするおばあちゃんと。
医療ではEBM(エビデンス・ベイスド・メディスン=科学的根拠に基づく医療)を重視しますが、もう一つNBM(ナラティブ・ベイスド・メディスン=患者自身の物語と対話に基づく医療)も大切です。
一人ひとりの人生に物語があります。
その物語を大切にする医療を展開してきました。
相手の身になる
2011年の東日本大震災のときには、すぐに福島第一原発20kmゾーンに救援に入りました。
いつも自分が被災者だったら何がほしいか考えるようにしてきました。
温かいものがほしいだろうと思い、体育館でおでんを温め、ふるまいました。
翌朝は、こんなときほど体を動かすことが大事と思い、みんなで立ち上がってラジオ体操をしました。
宮城県石巻市では、学校のグラウンドを借りて千人風呂プロジェクトを行いました。
仮設のおふろを設営し、ゆっくりと湯船につかってもらったのです。
震災後一度もおふろに入っていないという人も多く、とても喜ばれました。
病院では、患者さんの身になって考えることをしてきましたが、被災地支援でも「相手の身になる」ことが役立ちました。
東日本大震災の千人風呂プロジェクト。
ジェネラティビティを意識する
チェルノブイリ原発事故の汚染地域には、医師団を100回以上派遣し、約14億円の医薬品を送りました。
汚染地域では子どもの甲状腺がんや白血病が広がっていました。
末梢血幹細胞移植を現地のドクターに教えながら、子どもたちの命を守る活動をしてきました。
その活動のなかで本当にあった話を『雪とパイナップル』(集英社)という絵本にしました。
その絵本は、今年、ロシア語とベラルーシ語に翻訳され出版されます。
プーチンの戦争で、日本の本が翻訳されることはないだろうと思っていましたが、こんなときほど命の大切さを考えるきっかけになればと思います。
放射能汚染地域の白血病の子と。
22年3月からはウクライナ避難民の支援を始めました。
支援金は8000万円集まりました。
インターネットをつないで、ウクライナの子どもたちや母親たちに「何があったらちょっとうれしくなれる?」と聞き、要望のあった学用品や運動靴、クーポン券などを送りました。
イラクの難民キャンプには、5つの診療所をつくりました。
アルビルの小児がんセンターの隣に建設したJIM-NET(ジムネット)ハウスは、子どもたちが抗がん剤治療を受けながら、勉強できる場になっています。
ぼくは養父母に育てられました。
養父母のおかげで、貧乏でしたが愛情のある家庭で育つことができました。
今、日本は子どもを安心して生み育てられる環境が整っているか疑問が残ります。
人口減少がすすめば、消費が低下し、GDPが下がってきます。
ものづくりの国で働く労働者の数も足りなくなっていきます。
ほかのアジアの国にGDPでも抜かれていくでしょう。
この国を強くてあたたかい国にするには、防衛費の増額以上に、子どもが安心して生まれ、育つ国にしていくことが大事だと考えています。
そのために6兆円の子ども予算倍増を政府に訴えています。
「ジェネラティビティ」とは、次世代の価値づくりに貢献すること。
「世代性」とも訳されます。
次にやってくる若者や子どもたちの健全な生存のためのお手伝いをしていきたいと思っています。
《カマタのこのごろ》
ぼくがプロデュースしたジャズCD『ひまわり』は4万枚を超し、ロングセラーとなっています。サックスは坂田明、ピアノはフェビアン・レザ・パネ、ベース・吉野弘志、パーカッション・ヤヒロトモヒロといった日本を代表するミュージシャンが、「ひまわり」や「遠くへ行きたい」「死んだ男の残したものは」「G線上のアリア」などをジャズバージョンで演奏しています。このCDの収益は、ウクライナの支援に使われます。日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)のインターネットショップで購入できますので、ご協力をお願いいたします。