「こんなご時世だけど、前を向こう」。みんな無理してポジティブに振る舞っていますが、疲れている人もいるのではないでしょうか。僧侶の南直哉さんは「人生を棒に振ってもいいくらいの気持ちでいい」と言います。その南さんの著書『「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本』(アスコム)より心をラクにするヒントをご紹介します。
【前回】生きがいを「身近で探す」と不満や不安が気にならなくなる/「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本
こじれた人間関係は「愛情」や「努力」では変わらない
家族でも職場でも、恋人同士でも、ほぼすべての人間関係は、その根底に「利害関係」と「力関係」が働いています。親しい間柄だからこそ、その視点を持つことが大切です。
あなたは「自分の努力が足りないから、人間関係がうまくいかないのだ」「私が愛情をもって接したら、相手は変わるはず」と思ってはいませんか?
あるいは、人間関係の悩みを相談したら、「相手を変えたければ、まず自分が変わりなさい」と言われたことはありませんか?
しかし、こじれた人間関係は、「愛情」や「努力」でどうにかなるものではありません。
努力や愛で相手が変わると考えるのは、新たな苦しみを生むだけです。
たとえそれが家族であっても、同じです。
ある50代男性の話をします。
「自分ががんばれば」と努力し続けた人の話です。
彼は役所勤めをしながら、90歳間近の父親をひとりで介護していました。
父親には視覚障害と軽い認知症があり、デイサービスや介護サービスは一切拒否し、息子の介護しか受けつけなかったのだそうです。
母親はすでに亡くなっており、ひとりっ子だった彼は孤軍奮闘しました。
しかし、限界はあります。
体重が減ってあきらかに顔色も悪くなり、倒れるのではないかと職場で心配されるまでになりました。
市の福祉担当者からも「このままでは、あなたが先に死んじゃうよ」と言われたそうです。
それでも彼が、父親の介護をし続けたのには理由があります。
ひとつは、彼が両親の愛情を一身に受けて育ち、恩義を感じていたこと。
もうひとつは、もし父の望みどおりにしなければきっと後悔するだろうと考えていたことです。
それで、「お前が親の面倒を見るのは当たり前」と言われれば、従うしかなかったわけです。
極限状態で、彼は私に電話でアドバイスを求めてきました。
そうでなければ病気で倒れるか、あるいは、「父親さえいなければ」と考えるようになっていたかもしれません。
「この人さえいなければ」と考えるのは、あってはいけない話です。
しかし、介護の場面で、人はそこまで追い詰められます。
いびつな関係の中で「自分が我慢すれば」「私さえがんばれば」と考えて、にっちもさっちもいかなくなってしまうのです。
私は、とにかく父親をデイサービスにあずけるようにと言いました。
一日数時間だけでも、彼が父親から解放される時間を確保することが最優先だと考えたのです。
男性は、「父の説得はむずかしいし、悲しませることになる」と抵抗しました。
しかし、「あなたが死んでしまったら、お父さんはもっと不幸になるでしょう」と言うと、なんとか納得してくれました。
予想どおり、デイサービスに行くと父親は荒れたそうです。
しかしそれでも、事情を話して通わせ続けるようにと私は言いました。
「半日」を確保できるかどうかは、男性にとって死活問題だったからです。
──いざとなったら、私が父親を説得しに行くから。
私は彼にそう言いました。
この場合はその覚悟がなければ、できない助言でした。
「がんばれば、いつか努力が報われる」
「自分が変わりさえすれば、事態は好転する」
真面目で一生懸命な人ほど、そう思いつめる傾向があるようです。
しかしいくら努力しても、人間関係は報われないことのほうが多い。
そう思っておいたほうがいいでしょう。
特に、家族の問題は、思いやりや愛で強引にカタをつけようとすると、袋小路に入ってしまいます。
なかでも、その傾向が顕著に表れるのが介護の問題です。
介護では、家族の中で一番力の弱い人にしわ寄せがいきます。
最近、問題になっているヤングケアラーは、まさにその典型でしょう。
さらに、介護期間が長くなると、「介護する側」が「される側」より弱くなる反転現象が起きます。
「愛情を持って接するのが当たり前」といった思い込みが、「介護する側」と「される側」の逆転関係をつくってしまうのです。
それは、二者の閉じた関係で固定化されます。
こうなると、第三者の視点がないと状況は変わりません。
こじれた人間関係が、自分ひとりの努力や愛情でどうにかなると考えるところから、まず一歩離れてみる。
家族であろうが、恋愛相手や友人であろうが、年齢も性別も職業も「情」も関係なく、その人を冷静に見る。
そういった訓練をしないと、状況を正しく判断できません。
そこから、その人間関係を自分の力でどうにかできるのか、できないのか。
枠組みを変える余地があるのか。
それとも、関係を切るのかどうか。
冷静に考えていくのです。
このとき大事な視点が、家族から国家まで、どんな集団であっても、人間関係の基本は「政治」だと考えることです。
つまり、すべての人間関係の底には「利害関係」と「力関係」が働いていると見とおすのです。
そこをきちんと見なければ、正しい状況把握はできません。
「いや、家族は愛情という絆で結ばれているだろう」と反論する人もいます。
しかし家族間であっても、利害関係と力がからんだ政治であることに変わりはありません。
たとえば、親は子どもに愛情を注いでいるように見えます。
しかし、「これをしたら、愛してあげる」「親の期待どおりなら、ほめてあげる」という「取引」をしているにすぎないケースも少なくありません。
また、「子どものため」と言いながら、多くは自分の利益のためだったりするのです。
力の弱い子どもは親に従うしかありませんが、大人になって幼い頃の反動が現れることもあります。
しかし、人間関係を考えるとき、多くの人は「自分」の枠の中だけで考えます。
そして「記憶」と格闘しています。
もし、その記憶で他者との関係が正確に捉えられていれば、問題を考える材料にはなるでしょう。
でも、そこに自分の感情や自分の視点しかなく、「なぜ自分はうまくいかないんだろう」と自問自答しているだけなら、意味はありません。
閉じてしまった自分の中で、他者との関係を無視しながら解決策を探しても、見つかるわけがないのです。
あるいは、ひとりよがりな解決策しか出てこないでしょう。
ここでは、記憶との格闘をやめ、自分の問題を正確に見る具体的な方法をお話ししていきます。
その多くが、感情を扱うためのテクニックや考え方です。
なぜなら、事態の認識に失敗する原因の多くは、感情との距離のとり方にあるからです。
夢や希望という重荷を下ろし、感情に振り回されない生き方のヒントを全4章にわたって解説