「こんなご時世だけど、前を向こう」。みんな無理してポジティブに振る舞っていますが、疲れている人もいるのではないでしょうか。僧侶の南直哉さんは「人生を棒に振ってもいいくらいの気持ちでいい」と言います。その南さんの著書『「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本』(アスコム)より心をラクにするヒントをご紹介します。
【前回】人間関係は愛情や努力だけで解決せず、距離と間を置くこと/「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本
怒りを鎮めるには床に直接座ること
怒りは、何も解決しない
怒りが湧くのは、「自分が正しい」と信じているからです。怒りに翻弄されたくなかったら、自分が正しいと信じていることが、本当にそうなのかどうか、冷静に考えてみてください。
ある老師が、以前こんなことを言いました。
「直哉、俺も90歳を過ぎて、だいたいのことは解脱(煩悩から脱すること)したと思っていた。もう、うまいものを食べたいとも思わないし、女に惚れることもない。だけどな、怒るのだけはダメだった。この歳になっても頭にくるんだよ。怒りからは解脱できない。仏の道は遠いな」
念のために言うと、老師が「頭にくる」のは個人的なことではありません。
この老師は、寺で戦災孤児の救済活動をするなど、ボランティアの草分けのような活動を続けた人です。
彼の怒りは、社会的な問題や悲惨な状況にある人たちに対して、世間があまりにも無関心だということに向けられたものです。
老師にとってこの怒りは重要な意味があり、また、これまでの活動を支える大事なエネルギーにもなってきたのでしょう。
そんな「怒り」であれば、捨てる必要はないと私は思います。
その感情が激したときに、その枠の中でこぼれないようにすればいいだけの話です。
しかし一般的に見れば、怒りが手こずる感情のひとつであるのは間違いありません。
なにしろ、90歳の禅僧まで、捨てられないと言ったのですから。
「もう怒らないと決めたのに、小さなことで部下を叱ってしまうのです」
「パートナーの言動に腹が立ち、怒りが溜まっていつもイライラしています」
こんな悩みをよく聞きます。
ついカッとなってしまうのは、「怒ればなんとかなる」といった妙な思い込みがあるからです。
冷静になれば、いくら怒鳴っても相手は萎縮するか反発するだけだとわかるでしょう。
怒る行為に効用があるとしたら、ただひとつ。
「問題がここにある」と過激に指摘することだけです。
しかし、怒りにまかせて問題を指摘したところで、相手は決して納得しません。
また、問題が解決することもありません。
もし、誰かがあなたに怒りをぶつけてきたときは、「この人はなんの問題を指摘しているのだろう」と考えれば、それで十分です。
たとえば、上司が「結論から言いなさい!」と部下を叱ったとします。
それは、「報告がまわりくどい」と問題を指摘しただけです。
だから、叱られたほうは、次からは、端的に現状報告すればいいわけです。
短気な上司がどんなに激昂しても、「この人は、怒れば問題が解決すると思っているのだな」と、指摘された問題だけ捉えて、余計な怒りは受け流せばいいのです。
そもそも人が怒るのは、「自分が正しい」と信じているからです。
しかし、その「正しいこと」すらあいまいなものであって、変化するものです。
それがわかっていれば、一時的にムッとすることがあっても、さほど激しい怒りにはならないはずです。
「自分の言っていることはどんな場合も正しい」と思い込むのは、仏教からもっとも遠い感情です。
だから、「怒る」行為をとても嫌います。
苦しみを生み、悟りを妨げる三つの毒「三毒(さんどく)」(貪(とん)、瞋(じん)、痴(ち)=貪(むさぼ)り、怒り、愚かさ)のひとつに数えられるほどです。
「あっ、また怒ってしまった」と思った時点で、もう一度本当に自分が正しいのか、再検討する余地があると考えてください。
およそ物事は、ある一定の条件でしか成立していません。
怒りに翻弄されたくなかったら、この考え方を頭にたたき込んでいたほうがいいでしょう。
ちなみに、当座の怒りを鎮めるには、怒りの相手から物理的に離れることをお勧めします。
また、立っているのではなく、床に直接座ってしまうことが効果的です(椅子よりはるかに効果的)。
夢や希望という重荷を下ろし、感情に振り回されない生き方のヒントを全4章にわたって解説