慣れ親しんだ自宅で、自分らしい幸せな最期を迎えたい! たとえ、「おひとりさま」でガンになっても、認知症になっても...。2019年、高齢者世帯の独居率は27%になりました。さらに独居予備軍である夫婦だけの高齢者世帯率も33%。近い将来、高齢者の独居世帯は半分以上になるでしょう。また、90歳を越えて生きる男性は4人に1人、女性は2人に1人と、まさに人生100年。そんな中、「高齢者のおひとりさま」は「かわいそう」「さみしい」という時代は変わってくるかもしれません。そこで今回は、社会学者で東京大学名誉教授である上野千鶴子さんの『在宅ひとり死のススメ』(文春新書)の第4章より「死ぬのに「立ち会い人」は必要か?」を抜粋してご紹介します。
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死ぬのに「立ち会い人」は必要か?
立ち会い人のいる、いないは、死にゆくひとにとって、そんなに重要なことでしょうか? 単身独居の高齢者なら、家にひとりでいるのはデフォルト、人の出入りはあるかもしれませんが、24時間誰かがいるわけではありません。おひとりさまなら、ひとりで暮らして、ひとりで老いて、ひとりで介護を受ける......そしてある日、ひとりで死んでいる。それがそんなに特別なことでしょうか?
わたしなど、ひとりでいることが基本ですから、死ぬ時にだけ、親族縁者、友人知人が枕元に大集合するなんて、かえって不自然に思えます。家族が同居していたって、寝ていたり、外出していたりすることがあります。地方では見かけは三世代同居の家族でも、働ける者は全員出払っていますから、要介護度4や5の寝たきりの高齢者が、日中独居でいることはざらにあります。いまどき「嫁」という名の成人女性が、24時間家を守っているなんてことはありえません。家族の目が離れた隙に死なれたら、それも「立ち会い人のいない死」になるのでしょうか?
これが施設や病院なら、孤独死は避けられる、と思っているひとは多いようです。施設だって職員が数時間毎に見回りに入るだけ。巡回と巡回のあいまに死んでいることだってあるでしょう。病院だって、看護師さんが24時間張り付いているわけではありません。各種のモニターがついて、ナースステーションに異変を知らせるアラームが鳴れば、誰かが駆けつけてくれるかもしれませんが、それだって機械が知らせる死です。それどころか、マニュアルに従って、医師が電気ショックや心臓マッサージを始めたりして、安らかであるべき死が火事場のようになりかねません。
看取りの医者に訊いたことがあります。臨終のときに、誰が周りにいるか、わかるものですか? と。「いやあ、そんなことわかりませんよ。死ぬ時には脳内麻薬といわれるエンドルフィンが出て多幸状態になりますから、傍に誰がいたって関係ありません」という医者もいるし、「誰が手を握っているかなんて、わからないでしょう」という答え。「先生、死んだことがないのに、どうしてわかるんですか?」と訊いたら、死に方を見ていたらわかります、とか。
医者によっては、五感のうち聴覚だけは最期まで残るから、声をかけてあげるといいですよ、というひともいます。こんなエピソードを聞きました。おじいさんの死の床の周りを子や孫が取り囲んで、孫がふとんにすがって「おじいちゃ~ん」と声をかけ続けていたときのこと。おじいさんがはっきりした声で言ったのが「うるさいっ」。死ぬ時ぐらい、静かに死なせてくれよ、といいたい気持ちはわかります。
古い友人で天涯孤独、独居の男性を鳥取市在住の看取りの医者、徳永進さんに託したことがあります。徳永医師は舌がんで手術した後、声を失った彼と筆談でコミュニケーションし、このまま在宅で死にたいと意思を確認しました。ある朝、ヘルパーさんが訪問すると、ベッドで死んでいたそうです。身の廻りをすべて整理して、みごとなおひとりさまの逝き方だった、と後日談を聞きました。書と篆刻(てんこく)をよくし、酒と茶にうるさい、狷介孤高の彼にふさわしい最期でした。
8章にわたり「おひとりさまの幸せ」を解き明かしながら、「慣れ親しんだ自宅で、自分らしい最期を迎える方法」を紹介します。