暮らしの中の断捨離を提唱するやましたひでこさんは、著書『家事の断捨離』(大和書房)で、家事の常識を断捨離することこそが大切だと言います。モノを減らせば、家事も減る。やました流「家事に追われなくなる秘訣」を連載形式でお届けします。
©️福々ちえ
「きちんと」から解放されよう
メディアには、家事も子育ても完璧なスーパーウーマンがたびたび登場します。
料理、片づけ、子どものしつけ。
丁寧にきっちりやっているのが正解。
手間をかけてこそ――。
そんなメッセージをちらつかせています。
「それに対して私は......」と、後ろめたさを感じてはいませんか?
手をかけるべきところで手を抜いている。
手間をかける時間がない。
そんな「ままならぬ家事」への後ろめたさや罪悪感を持っている人は意外に多いのです。
私がまず言いたいのは、「もっと手を抜こうよ!」ということ。
「手を抜く」という言葉に抵抗があるなら、「手間ヒマかけない」と言い直してもいいでしょう。
ヒマがなければ、手間などかけられません。
後ろめたさを感じている人にお伝えしたいのは、今は手間ヒマかける時代ではないということ。
昔のお母さんは、手間ヒマかける文化の中にいたというのもあるでしょうし、機械化されていないぶん手間をかけざるを得なかった面もあるでしょう。
今は技術的な進歩もあり、手間をかけなくてもいいことが増えています。
それでも、やっぱり主婦として、母として、手間をかけたほうがよしという感覚がそこはかとなく残っています。
あなたが気にしているのは何ですか?
他人の目?
家族の目?
結局、家事が「他人軸」になってしまっているのです。
「キャラ弁」もそうですよね。
最初は子どものために作っていたけれど、だんだん目的が変わってくる。
クリスマスのイルミネーションと同じで、だんだんエスカレートし、何のためにやっているのかわからなくなってきます。
一方で、「きちんとやっている人」も不全感を持っていたりします。
なぜでしょう。
きちんとやっても誰もほめてくれないから、それがストレスになっています。
一生懸命やっているのに、どうしてほめてくれないの......。
まだまだきちんとできていないのではないか......。
そんな「被害者意識」が生まれてしまうのです。
「おいしいごはん」のためにがんばりすぎない
「おせち料理を作れない自分に対して、ダメだと言われている感じがする」
バリバリ働くお母さんがこう話していました。
女性が外で働く時代になってもなお、家事に対して保守的な「常識」が蔓延しています。
ダメだと言っているのは彼女自身。
彼女は、何に向かって後ろめたさを感じているのでしょう。
「食育」という言葉が出てきたとき、私はまたお母さんの負担が大きくなったと感じました。
「手作り」に「家族団欒」。
すごいプレッシャーですよね。
そんな余裕あるわけないです。
女性はいつしか、お父さんとお母さんの両方の役を求められています。
外で働き、家でも働く。
そんな世間のプレッシャーに、後ろめたさを感じてしまっています。
時代は急激に変わっているのに、世間に思い込まされているんですね。
アジア各国を旅していると、「食」の豊かさにワクワクします。
タイなど宮廷がある国は、さらに食のレベルが高いことを実感します。
それでいて、食に対する縛りが少ない。
日本は、朝ごはんとなれば「お母さんがきちんと作って......」という意識がまだまだあります。
一方タイでは、「はい、みんな屋台で朝ごはんにしましょう!」ですから。
あの自由さはうらやましいです。
©️福々ちえ
おいしい屋台の朝ごはん。規則正しいことはいいけれど、たまには肩の力を抜いて。笑顔の朝ごはんを。
料理を家で、女性が毎朝、毎晩、手作りする――そんな感覚は、欧米はもちろん、アジア各国でもあまり見られません。
そんな強迫観念を、スッキリ「断捨離」していただきたい。
「子どものため」「家族のため」と食事作りをがんばっている人は多いでしょう。
でも、気分がのらない日は、外で食べてもいいじゃないですか。
旅館の朝ごはんは、とってもおいしいですよね。
ただ頻繁に旅行できるわけではないから、身近に「おいしい朝ごはん」を提供するお店がもっと増えたらいいなと思います。
日本の女性(男性)はがんばっています。
たしかに和食は素晴らしい文化です。
でも「よいもの」に向かいすぎて、リクエストが多すぎて、するほうは大変。
器ひとつをとっても、形いろいろ用途さまざま。
片づけも大変です。
世界の常識と比べたら、「そんなことまでしなくてもいいよ」ということは多々あるのだと、心に留めておいてほしいですね。
イラスト/福々ちえ
4章にわたって、夜、朝、週末とシーンに合わせたあらゆる家事を軽くする断捨離メソッドが学べます