暮らしやお金、友人関係に悩んだとき、誰かの「言葉」に支えられたことはありませんか?中でも特に多くの人を救った言葉を、人は「名言」と呼びます。「世界一受けたい授業」(日本テレビ系列)などに出演する教育学者・齋藤孝さんは、著書『100年後まで残したい 日本人のすごい名言』(アスコム)で、「名言は声に出して覚え、暮らしの中で使えば一生の宝物になる」と言います。今回は同書から選出した、人生の糧となる6つの言葉を連載形式でお届けします。
自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ
茨木のり子
詩人。1926生-2006没。現・東邦大学薬学部在学中に空襲や勤労動員を体験し、19歳のときに終戦を迎えた。1953年に詩人仲間と同人誌『櫂(かい)』を創刊。代表作に「わたしが一番きれいだったとき」「倚りかからず」などがある。
詩人茨木のり子は73歳のときに『倚りかからず』(筑摩書房)という詩集を出しました。「もはや/できあいの思想には倚りかかりたくない」から始まる詩「倚りかからず」を中心とした15編が掲載された本です。これが詩集として異例の大ヒット。
15万部も売れたのですからすごい。きっかけは朝日新聞の「天声人語」が取り上げたことですが、それだけ茨木さんが多くの人に愛されていたということでしょう。
みんな、なぜそんなに茨木さんの詩が好きなのか。一つには、学校で習い、親しんでいたことがあると思います。「わたしが一番きれいだったとき」や「自分の感受性くらい」といった詩を読んで、共感していたのです。
心を強くするために、言い訳禁止!
「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」という名言は、詩の中のトドメの言葉です。
「ぱさぱさに乾いてゆく心を/ひとのせいにはするな/みずから水やりを怠っておいて」から始まり、「気難しくなってきた」こと、「苛立つ」こと、「初心消えかかる」こと、それから「駄目なことの一切」を自分以外の何かのせいにするなと言い、最後にバシッと「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」と言うのです。
この詩には、人の考えそうな愚痴の、だいたいのことが書いてあります。愚痴を言おうとしたら、もう先手を打たれているという感じです。「こんなにハッキリ言うかな」というくらい、厳しいことをズバズバと言ってくれている。
これがまた詩であることの良さです。説教ではありません。一つひとつの言葉がキラキラと際立っていて、美しさがあります。フレーズの繰り返しのあとにトドメを刺すという、詩の形としても美しい。「ばかものよ」は、茨木さん自身への喝でしょう。読んでいてそれもわかります。そして同時に、自分のこととして身の引き締まる思いがするのです。
感受性とは、自分で守るものだったのか。やたらと傷つきやすいものだと思っていたけれど、自分で守ればよかったのか。そういう感慨を持った人も多いのではないでしょうか。
ぜひ全文を入手して通読し、茨木さんの言葉を味わってほしいと思います。
以前、小学生向けに『心をきたえる 痛快!言いわけ禁止塾』(PHP研究所)という本を出したことがあります。「だって......だもん」「今のは〇〇だったから」などと言い訳ばかりしていると、成長の機会を失ってしまうことになります。だから、禁止。「え~」「ビミョー」「意味わかんねーし」なんていう口癖をやめて、心を強くしていくのです。
誰々がひどいことをしたから男が(女が)嫌いになった、先生が面白くなかったから勉強が嫌いになった、誰々のせいでグレたなどというのもよく聞く言葉ですが、「自分の感受性くらい 自分で守れ」ということです。
かっこいい大人は言い訳しません。
たとえば2000年のシドニーオリンピックで、柔道の篠原信一選手(現在はタレントとして活動)は「言い訳しないかっこよさ」を見せつけてくれました。決勝戦の相手は、フランスのドゥイエ選手。勝ったほうが金メダルです。ドゥイエ選手が内股をしかけてきたところ、篠原選手は得意技の「内股すかし」であざやかに一本勝ち!となるはずが、誤審によって逆にドゥイエ選手の「有効」ポイントになってしまいました。
そして最終的に、有効一つの差でドゥイエ選手が優勝したのです。ああ世紀の大誤審。この事件のあと、誤審防止のためにビデオ判定などの制度ができました。
試合後、監督と日本選手一同が抗議をしましたが、試合場から審判が離れたあとは判定はくつがえらないという規定により、篠原選手の負けは確定してしまいました。
日本のマスコミはこぞって審判を批判しました。しかし、篠原選手はこう言ったのです。
「すべて自分が弱いから負けたんです」
それ以上何も言わず、潔く引き下がりました。誤審があったにせよ、その後気持ちを切り替えて逆転できなかったのは、自分が弱いからだということなのです。
篠原選手は、いつまでもグダグダと言い訳をするのは恥だという、日本文化の精神を見せてくれました。これこそ、勝者の心構えと言うべきでしょう。
「張り」のある精神が、自分の感受性を守る
茨木さんは青春時代を戦争の真っただ中で過ごしました。15歳のときに太平洋戦争が勃発。戦時下での飢餓(きが)、空襲、勤労動員を経験し、19歳のときに終戦を迎えました。青春をめちゃくちゃにされているわけです。「わたしが一番きれいだったとき」には、こんな一節があります。
「わたしが一番きれいだったとき/わたしの国は戦争で負けた/そんな馬鹿なことってあるものか/ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた」
報われず失われた若さ、美しさ。時代のせいにしたいのは当然です。しかし一方で、これも受け止めて次にいくのだという強さがあります。凜として前を向いて生きていくという茨木さんの言葉に触れると、ああ、こういう強い精神を自分も持ちたいものだと素直に思えます。
戦争は、人の感受性を奪っていくものでもありました。一億玉砕、国のために死ぬことが忠義とみんなが言います。違和感を持っても口にすることは許されません。それが敗戦後は手のひらを返したように変わるのです。だからこそ、自分の感受性を信じて自分で守らなければなりませんでした。
感受性を自分で守るというとき、支えになるのはやはり精神です。その精神には、「張り」が必要なのだと思います。茨木さんの言葉、生き方そのものに「精神の張り」を感じます。「張り」のある、厳しいけれども美しい言葉が、背中を押してくれるのです。
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