多くの人にとって人生で一番大きな買い物である「家」。老後の過ごしやすさなど、いろいろ考えて建てたのに、しばらく暮らすと不便な部分がチラホラ...。その理由の一つは「間取りのプランニング不足にある」と現役工務店社長・窪寺伸浩さんは言います。今回は、『いい住まいは「間取り」と「素材」で決まる』(あさ出版)から、「家と人生の関係、理想の間取り」について連載形式でお届けします。
「住まい」と幸せの関係
本書で再三、「幸せを呼ぶ住まい」という言葉を使ってきました。幸福と住まい、常識的に考えると、なんとなく、うまく結びつかないテーマのようにも見受けられます。風水とか家相とかなのかと思われる方もいらっしゃることでしょう。
特に「幸せ」という言葉に抵抗感を持たれる方も多いかもしれません。幸福、しあわせ、ハッピー。誰もがほしく、求めていること。誰もが欲し、求めている状態。しかし何かフランクに言えないし、深く考えていないこと。幸福なんていうと、なんかの宗教ですかと言われそうだし、何か口はばったい、照れ臭い感じがする。当たり前のことを当たり前に言えない。一番価値のある幸福ということに対して、真剣に向き合えない。そんな日本の社会が病んでいることを象徴しているような気さえします。
東日本大震災で、被災地の方々は、仕事を、家を、財産を、車を、船を失いました。そして何より多くの生命を失いました。今まで当たり前だったと思えた事柄、例えば家族がいる、仕事がある、住まいがある、そんなことが、一瞬の津波で押し流されてしまったのです。
今まで当たり前だと思っていたことが、実はさまざまな、不思議な、ご縁の上に成り立っていることに気がついたのです。当たり前だと思っていたことが実は「有り難い」こと、有り得ないこと、有り難いから「ありがたい」ことに気がついたのではないでしょうか。
被災していない私たちも、この大震災を当初は謙虚に受け止め、被災地の人々の苦しみをわが苦しみとして受け止めようとしたりもしましたが、今はどうでしょうか。もう他人事になっているし、「今、ここに生きている」ことの不思議、有り難さへの感謝など、また忘れてしまっているのではないでしょうか。
幸福と、幸福感は違います。幸福感は、「ああ、幸福だなあ」と思う瞬間的な感情です。幸福は、永続するものです。永続しなければ、幸福とは言えません。
「ああ、あの時が幸福だったんだ」と過去を思ったとしたら、それは悲しいことです。幸福を失えば、ずっと不幸になってしまうという生き方では、人間としては寂しい生き方だと思います。
不幸の芽を取り除き幸福になる努力、工夫をすることは、人間の務めであると思います。同時に、このままで幸福だ、このままでありがたいと感謝できるのも、人間の素晴らしさだと思います。
「住まい」と「幸福」というテーマは、一見結びつかないようですが、「人生は、幸福であること」に価値を置くとすれば、人生の大半を過ごす「住まい」もその延長線にあるべきでしょう。
ですから、「住まい」を求めることは幸福になるためという目的を離れては存在しえません。
この「幸福」になるための「住まいづくり」という考え方は、私自身の専売特許ではありません。私の師である冨田辰雄という、幸福を生む「住まいづくり」に生涯をかけた人物の発案です。
冨田辰雄はこの理念に基づき、数千棟の注文住宅を建ててきました。そして、その理念に共鳴した日本全国の工務店、木材会社、設計者らをたばね「ホーミースタディグループ」という住宅環境研究グループを結成しました。
幸福を生む「住まいづくり」には、答えがありません。それは住む人一人ひとりが違う個性を持ち、違う家族構成の中で、違う敷地の中で、住まいを建てるのですから、どこかのハウスメーカーのように「幸福を生む住まいA、B、C」といった単純な発想ではありません。
まさに、千差万別です。住み手とつくり手の双方が真剣に求めない限り、幸福を生む「住まい」は簡単にできるものではありません。しかし、幸福を生む「住まい」は存在します。
住むことによって、心身が健康になり、家族のみんなが信頼し合い、調和された人間関係になり、子どもたちが健やかに育ち、日々の自然の恩恵を受けられるような「住まい」です。
住む人一人ひとりがしっかりと求めさえすれば、それは実現するのです。そのためには、しっかりとした「間取り」プランから始めないといけません。
キッチンやリビングから玄関に階段まで、あらゆる「理想の間取り」が分かります