女優・有馬稲子さんが語る「老後の楽しみ、朗読へのこだわり」

宝塚歌劇団を経て、映画・舞台女優として活躍し、近年は朗読劇で新境地を披露する有馬稲子さん。私生活では、2007年に中高年向けの分譲マンションに引っ越し、楽しく充実した毎日を過ごしています。今回はライフワークである朗読についてお話を伺いました。

女優・有馬稲子さんが語る「老後の楽しみ、朗読へのこだわり」 arima_03.jpg『はなれ瞽女おりん』は私のライフワーク。喉を治して朗読会を成功させたいです

――有馬さんは読書が趣味と伺いました。最近読んだ本でおすすめはありますか?

有馬 田辺聖子さんの『ひねくれ一茶』と『姥ざかり花の旅笠 小田宅子の「東路日記」』がとても面白かったです。特に後者は、商家の女性4人が伊勢から江戸、日光、善光寺を巡る5カ月間の旅日記で、江戸時代に女性たちが旅をしていた驚きもあり、物語に引き込まれました。私が演じた『はなれ瞽女おりん』の舞台も、24年間684 公演のうち大半が地方で、毎日毎日違う土地を訪れて公演していたので、自分を重ねながら読んでいました。

絶えず勉強することが人生のスパイスに

――読書に限らず、ガーデニングやウォーキングと、趣味が多い有馬さん。人生を豊かに過ごす秘訣は何でしょうか?

有馬 本を読んだり、台本を覚えたり、頭を使うことに関しては昔と全く変わらない生活を送っています。その中で実感したのは、人は絶えず勉強することが大切だということ。新聞も興味のあるなしにかかわらず、隅々まで読むようにしています。また、うちのマンションでは、定期的に映画の上映会をしていて、私の出演作もたくさん上映していただきました。その際、映画をテーマに会場でお話をさせていただくこともあり、自分で考えて人前で話すという経験は、演技とは違う学びがありました。


舞台に立ち続けるため喉の治療を決心

――今秋、2年ぶりに朗読会をされると伺いました。

有馬 はい。10月26日(土)の予定です。今年は、『はなれ瞽女おりん』の原作者である水上勉先生の生誕100 周年に当たるので、先生が故郷の福井に開設した「若州一滴文庫」で『はなれ瞽女おりん』を語ります。一人語り版は、私の老後の楽しみのために先生が特別に書いてくださったものなんです。朗読の合間には、おりん一座の旅中のエピソードをお話ししようと思って、いま台本を作っています。

――特に印象深いエピソードを教えてください。

有馬 1991 年にイギリスで行われた「ジャパン・フェスティバル」で上演した際、当時皇太子だった天皇陛下が観劇してくださって、お言葉を交わすことができたのは一生の思い出です。もう一つは、舞台を支えてくれたスタッフさんのこと。おりんの舞台はスタッフが手製で作った回り舞台で、全公演に持ち運び、組み立てては解体する作業を繰り返していました。しかも、客席に向かって斜めに傾いている特殊な構造だったので、通常は機械で動かすところ、人力で動かすしかなく、男性3人が舞台下に入って、芝居の場面に合わせて手動で回していたんです。

役者30人を乗せた舞台はそれはそれは重くて、男性3人でも骨が折れたことでしょう。紫綬褒章や勲四等宝冠章(くんよんとうほうかんしょう)など、私個人での受賞もたくさんありますが、たたえられるべきはスタッフの方々。本当にありがとう。いまでも感謝しています。

――朗読会に向けての意気込みをお聞かせください。

有馬 以前、喉のポリープを手術したのですが、完全に取り除くには再手術をする必要があるんです。でも、喉の手術は怖いので延ばし延ばしにしていたのですが、朗読会を楽しみに待っていてくださるお客さまがいるので、ようやく治療する決心がつきました。いまの目標は、万全の状態で10月の舞台に立つこと。そして、ぜひ東京でも朗読会を開きたいです。

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取材・文/Choki!(田辺千菊) 撮影/齋藤ジン

 

有馬稲子(ありま・いねこ)さん

1932年、大阪府生まれ。幼年時代を釜山で過ごす。1948年、宝塚歌劇団入団。1953年に映画界に転身し、小津安二郎監督作品『東京暮色』など、出演総数は70本を超える。1980年の初演以来、24年間続いた舞台『はなれ瞽ご女ぜおりん』は、684回の旅公演を重ねた。

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『有馬稲子 わが愛と残酷の映画史』

著:有馬 稲子 樋口 尚文 /筑摩書房)

日本映画全盛期から現在まで、銀幕や舞台で活躍を続ける大女優が語る、小津安二郎、内田吐夢、今井正、市川崑ら名監督の素顔。知られざる私生活にも触れた語り下ろしの1冊。1,900円+税。

この記事は『毎日が発見』2019年8月号に掲載の情報です。

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