SNSの普及が、新たなストレス源になっている――。「世界が尊敬する100人」に選ばれた禅僧・枡野俊明住職はそう指摘します。SNSに振り回されず、穏やかに生きるためには、どうすればよいのでしょうか。そこで、住職の新刊『何を言われても「平気な人」になれる禅思考』(扶桑社)より、繊細な人が傷つかずに暮らすためのエッセンスを連載形式でお届けします。
悪口をいう相手には、先手を打つ
日常生活のなかでの人間関係についても見ていくことにしましょう。
いま地域には独特なコミュニティがあるようです。〝ママ友〟の関係がそれ。子どもを同じ保育園や幼稚園に通わせるおかあさん仲間のことですが、このつき合いがなかなか大変、一筋縄ではいかないとも聞きます。
いっしょにお茶をしたり、ランチをしたり、というのがママ友のつき合いの基本ということですが、楽しいおしゃべりをして、日頃の育児ストレスを解消するということなら、それなりに意味のある時間ということになるのでしょう。
しかし、なかにはこんな声もあるようです。
「女性はやっぱりファッションが気になるでしょう。着ている洋服やバッグ、アクセサリーが話題になることが多くて、〇〇ちゃんママはいつもどこそこのブランドで素敵ねとか、△△ちゃんママはセンスがいいわとか。自分もブランドもののひとつくらいもっていないと、肩身が狭い感じがして......」
こうなると、お茶も、ランチも、楽しい時間ではなくなるでしょうし、居心地も悪くなるのではないでしょうか。
しかし、いったんグループの一員になってしまうと、そこから抜けるのはそう簡単ではありません。
離れていく人には厳しい視線が向けられるというのが、「群(むれ)」の特徴ともいえますし、仲間外れになることの怖さが自分にもあるからです。
「顔を出さなくなったら、いろんなことをいわれるんだろうな。もしかして、子どもも園のなかで仲間外れにされはしないだろうか?」
不安が募(つの)ります。その結果、気が進まないままズルズルと、お茶やランチに参加しつづけることになり、ストレスがふくらんでいくことにもなるわけです。
なんとか脱したい状況ですが、顔を出すのを少しずつ減らして、なし崩し的にグループを離れるというのは考えものです。これは欠席裁判の対象になりそうな気がします。
「××ちゃんママ、最近つき合いが悪くなったわね。なんだか感じ悪いわ。どこかでわたしたちの悪口でもいっているんじゃないかしら? 『あの人たち、しょっちゅう集まって、くだらない話ばかりしているのよ』なんてね。ホント、嫌な感じ......」
そんなふうに、悪口を吹聴してまわっているという、身に覚えのない〝罪〟を着せられることだって、けっしてないとはいえません。
やはり、ケリははっきりと自分でつけるのがいいのです。グループから離れたかったら、〝思いたったが吉日〟です。先手を打って、できるかぎり早い機会に、そのことを自分の口からいう。ここで実践していただきたいのが、この禅語です。
「和顔愛語(わげんあいご)」
和顔は和(なご)やかな表情のこと、愛語は相手を思ったやさしい、あたたかい言葉のことです。グループ脱退宣言はこれでいきましょう。たとえば、こんな具合です。
「みなさん、いままでありがとうございました。とても楽しい時間だったけれど、わたし生活を変えてみようと思うの。昔ちょっとやったことがあるパッチワークを、もう一度本格的にやってみたくなって、それに時間を使いたいと思っているのね。自信作ができたら、みなさんにプレゼントするね」
感謝の言葉はいちばんシンプルで、しかも、誰の胸にもしみる愛語です。それを和やかな表情で伝え、きちんとグループを離れる理由を説明すれば、ママ友たちもきっと、笑顔でグループからの〝卒業〟を認めてくれるはずです。
仏教では「和顔施(わげんせ」「言辞施(ごんじせ)」といって、和顔も、やさしい言辞(愛語)も、相手に対する施(ほどこ)し、お布施だとしています。二つもお布施を残していくのですから、ママ友たちから文句の出ようもないと思うのですが、いかがでしょうか。
清々しい〝立つ鳥跡を濁さず〟のふるまいです。
相手を笑顔にして〝別れ〟を告げる
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5つの章にわたって、「繊細な人が傷つかないための41の教え」を掲載。SNSでも実生活でも「何を言われても平気な人」になるためのヒントが満載です。