「仲よし時間」は死にゆく人との大切な別れの儀式
日本やアメリカでは、以前は病気の人に対しては死に関連する話はできるだけ避けて、励まし、病気が治ることに焦点を合わせた治療を行なうことが普通でした。
しかし、死にゆく人たちの思いや、本当に望んでいることへの理解が深まるにつれ、延命治療は死にゆく人の尊厳を守ることにはならないのではないか、という疑問が生まれてきました。
そこで、彼らの思いを理解して寄り添い、本当に望む最期を迎えさせてあげられることを中心にした医療が進められてきたのです。
死にゆく人たちはまず、それまでの人生では経験したことのない孤独や怖れに直面します。
そして、大きくは二つのことに心が動いていきます。
それは、自分の人生の振り返りと家族への思いです。
「自分の生き方は本当に正しかったのか」「本当はこんな人生を送りたかった」「もしかなうなら、こんなことをしてみたかった」などの思いが湧き起こります。
また、過去に不仲になってしまった人や音信不通になってしまった人などに思いを伝えて、和解をしたいと望みます。
同時に、家族に対する深い愛情や感謝の気持ちもあふれてきます。
家族のおかげで、これまで自分は生きてこられたこと、自分が死んだあと家族には幸せに暮らしてほしいことなどを心から思い、願うのです。
そして、こうした思いを素直に家族や親しい人に話したいと願うのですが、じつはここで大きな壁となるものがあります。
それは、残される家族の心の問題です。
大切な人に死んでほしくない、いつまでも生きていてほしい。
病気が回復して家に戻ることができ、また家族いっしょに暮らしたい、と思うのは当然のことです。
そのため、死にゆく人に本当のことを言えずに、「大丈夫、よくなるよ」「がんばって」と笑顔で励まし続けてしまいます。
家族の間から死という現実を隠して、触れないようにしてしまうのです。
それは当然、死が迫っている人への愛情なのですが、同時に恐怖や悲しみといった自分の感情に囚われて執着してしまっている状態でもあります。
頭ではわかっていても、大切な人の死を受け入れることができず、目をそむけてしまっているのです。
一方、死を目前にしている本人は、そうした家族の思いは切ないほどに理解しています。
できるだけ家族を悲しませたくないと思っています。
そして、自分が死ぬことへの恐怖を感じています。
大切な家族との別れを自覚して、大きな寂しさが胸にこみ上げてきます。
これまでの人生を振り返り、さまざまな葛藤を心に抱えているのです。
こうしたお互いの気持ちのギャップを少しでも小さくして、できる限り死にゆく人を幸せに送り出すためには、死を迎えるには段階があること、「仲よし時間」を完了するために死にゆく人の話を聞くには訓練、レッスンが必要であること、「聖なるあきらめ」の重要性などを知ることが大切です。
それは、家族だけでなく医療関係者や介護関係者、カウンセラーなど生と死に関わる人たちを含め、私たち一人ひとりにとって、これからの時代、とても重要なことだと考えています。
「仲よし時間」を穏やかに過ごし、死にゆく人の本当の思いを聞き届け、幸せな旅立ちの準備を整えさせてあげることは、残される人から死にゆく人への愛情の時間です。
そして、「仲よし時間」を幸せに過ごすことができれば、それは将来、自分が亡くなるときのための大切な経験と知恵にもなります。
死にゆく人たちが幸せに旅立つために、そしてご自身のためにも、一人でも多くの人に「仲よし時間」の大切さを知ってほしいと思います。
【最初から読む】「私が死んでも悲しまないで・・・」死にゆく教え子への祈り
死を受け入れる「聖なるあきらめ」、大切にしたい「仲良し時間」、幸せな看取りのための「死へのプロセス」など、カトリックのシスターが教える死の向き合い方