教養として学んでおきたい「日本史」。でも「少しはみ出したエピソード」を知っておくと、とたんに話題が豊かになるかもしれません。そこで、オンライン予備校「スタディサプリ」の人気講師である伊藤賀一さんの著書『笑う日本史』(KADOKAWA)より、面白くてためになる、そんな日本史の話をご紹介します。
オリンピック9日前にギリセーフ!夢の超特急・新幹線の開業秘話
東京は現在、2020年の夏季オリンピック・パラリンピックに向けて、競技場などの工事が行われ、準備が進んでいます。以前、日本で夏季オリンピックが開催されたのは、同じ東京で1964年。この時も、国立競技場や代々木競技場などの大規模な工事が行われ、さまざまなインフラも整えられました。
首都高速道路が建設され、東海道新幹線が開業したのも同年のことです。一気に建設需要が高まるのが、オリンピックなのです。また、外国人向けに東京の街がきれいにされ、駅から痰(たん)つぼがなくなったり、ごみ収集の仕方が変わったりもして、日本人の生活スタイルも大きく変化していきました。
新幹線の構想は、戦前からありました。当時は「弾丸列車計画」と呼ばれており、輸送量が増大していた東海道・山陽本線の増強をはかるものでした。従来の幹線を増強するので「新幹線」と鉄道関係者には呼ばれていたようです。
一部、トンネル工事なども行われていましたが、太平洋戦争が始まり、戦況が悪化したことで中断。戦後、復興とともに鉄道需要が増えると、東海道本線の輸送量は飽和状態となり、従来の路線を複々線化するという計画が持ち上がりました。
そのとき、国鉄総裁・十河信二(そごうしんじ)が、「広軌高速鉄道を別線で敷設(ふせつ)する」という高速鉄道プロジェクトを提唱し、運輸省に答申を提出しました。それと同時に、「オリンピック開催前に開通する」という約束で、IBRD(国際復興開発銀行、通称=世界銀行)から8000万ドルを借り入れ。東海道新幹線の開通は、国家的プロジェクトとなっていきました。
1961年より、新幹線の建設がスタート。「オリンピック開催前の開通」は国際公約だったため、なんとしても完成させなければなりません。中止も遅延も許されなかったので、新幹線開通に金も技術も集中させました。こうして、なんとか完成へとこぎつけたのです。
東海道新幹線が開業したのは、1964年10月1日。オリンピック開会式が行われるまで、あと9日。そこまでの開業を目指していたとはいえ、かなりギリギリです。万が一間に合わなかったら、どうするつもりだったんでしょうね?
<MEMO>東海道新幹線(とうかいどうしんかんせん)
1964年10月1日開業。東京?新大阪間を結び、のち山陽新幹線にも直通した。開業当初「ひかり」「こだま」は「夢の超特急」と呼ばれた。1992年には、さらに所要時間が短い「のぞみ」も運行を開始している。「のぞみ」の名づけ親は作家の阿川佐和子。
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