2018年9月、諏訪中央病院のロビーで、「命を見つめて」という絵画展が開かれました。紫陽花(あじさい)やハイビスカスなどの花の水彩画と、添えられた短い文章が、見る人の心をとらえます。
「気持ちが落ち込んだとき『次はきっと良いことがある』とおまじないする」との文が添えられています
「心って不思議 心って厄介 心こそが大切」と書かれた千日紅(せんにちこう)絵は、可憐な赤い花が、心にともった灯りのようです。
大輪のユリの花の絵には、こんな文章が添えられています。
「動けないことが不自由だと思っていた。でも、『想像の翼を広げよ』と教えてくれた人がいた」
これらの絵画を描いたのは、千葉県に住む越川美佐子さん(54歳)。進行性筋ジストロフィーを患っています。筋力が低下し、運動機能が衰えていく難病です。手の力も衰えて、思うように動かせなくなりましたが、何とか筆を持って描いています。
絵画展で越川さんのお話を聞きました
電動車いすで移動し、人工呼吸器の助けで呼吸している越川さんに会い、ぼくは彼女のユリの絵に添えられた文章を思い出しました。
人の言葉に気づかされ、人の支えで成長する
越川さんが進行性筋ジストロフィーと診断されたのは、幼稚園のとき。徐々に症状が進行し、中学1年のときには、自宅で生活ができなくなり入院しました。その当時、人工呼気器が使えなかったため、同じ病の人たちが20歳前後で亡くなっていきました。
未来への希望を持てず、生きる気力も失っていたとき、ある人の言葉に、ハッとしました。
「治る可能性がないからといって、このまま何もせず、時を無駄に過ごしていいのか」
その言葉に奮起した越川さんは、武蔵野美術短大(当時)に入学。病院の許可をとって、ボランティアさんと共同生活をしながら学校に通いました。
「電動車いすに乗って、学内を暴走族のようにブンブン走りまわった」という越川さん。友だちをたくさんつくり、演劇を見に行くなど、夜遅くまで遊んで、青春を謳歌したといいます。
越川さんには、何か人を引きつける力があるのでしょう。畳三畳大もの大作を描くにあたって、ボランティアさんがキャンバスを動かし、彼女の制作を助けてくれました。
越川さんとボランティア
福祉専門学校で作品を発表したのをきっかけに、学生たちとの交流も始まりました。彼らは自分たちの卒業旅行にも、彼女を誘い、八ヶ岳山麓へと連れ出してくれたのです。
それから20年後、八ヶ岳山麓にある諏訪中央病院で、絵画展を開くことになりました。ぼくの本を読み、諏訪中央病院で絵画展を開くのが夢だったのだといいます。
千葉から彼女の作品を運び、彼女をサポートするボランティアが11人ついてきました。そのなかには、福祉専門学校の学生や教師もいます。人の縁とは、大切に築いていくものだと感じます。
新しい命をもらった日
彼女の作品にカーネーションを描いたものがあります。
「もう母の日にカーネーションを贈ることはできないけど、その日だけは母への思いでいっぱいになる」
お母さんへのメッセージが書かれたカーネーションの作品
彼女を大切に育ててくれた母親が認知症になり、突然、亡くなりました。その日、胸が痛くなった彼女。病院で診察を受けると、なんと乳がんが見つかりました。最愛の母親がしっかり生きなさいと言っているように思えたといいます。
越川さんは、乳がんの手術を受けました。乳房を失った悲しみを友だちに話すと、「(乳房は)命とひきかえ。新しい自分に生まれかわったんだから、がんばって」と言われました。
「そうだ、私は新しい命をもらったんだ」
そうやって越川さんは、何度も顔を上げてきました。
身近な大切なものに気づこう
乳がんの治療では、抗がん剤治療も受けました。人に手伝ってもらいながら、術後、腕の上げ下げの運動もやりました。苦しみのなかで、「今の自分にできることは何か」と考えた越川さんは、ある決意をします。
同じ病を患う妹とともに、沖縄の慶留間(げるま)島の子どもたちに絵を教えに行くこと。それは、ずっとやってみたいと思っていたことでした。
慶留間島の小中学校で学ぶ児童生徒はわずか16人。子どもたちに「大切なもの」を描いてもらいました。教室から見える海や島、魚...さまざまなものが描かれました。
越川さんは、同じ病の妹の絵を描きました。自分のことを励ましてくれる妹に感謝の気持ちを込めて。声をつまらせて泣く妹を見て、子どもたちも何かを感じ取ってくれたのではないか、と越川さんは言います。
自分のなかにある「生きる力」を信じる
諏訪中央病院の絵画展はマスコミにも取り上げられ、たくさんの人が訪れました。
現在、抗がん剤治療を受けている51歳の女性は「やさしい筆使いと詩に、ひと時とても癒されました。これからも描いてください。ありがとう」と感想を書いています。
今、越川さんは病気が進行し、食べることも困難になりつつあります。気管切開や胃瘻(いろう)造設の提案もされるようになりました。気管切開をすれば、話せなくなるという焦りのなかで、なお、自分にできることは何か探し続けています。
「生きることの意味がわかりかけた今、もう少しだけ『生きたい』と思うのは欲ばりだろうか」
そんな文章が添えられた黄色い野菊の絵は、内なる力を秘めて、誇らしげに咲いています。
それは、どんな状態になっても、負けないで生き抜く力を秘める人間への賛歌のように、ぼくは感じました。