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千人風呂に「生き返った!」
東日本大震災の直後、ぼくはすぐに医薬品や食料などを持って、福島や宮城などに駆けつけました。避難所に身を寄せる多くの人たちが、大事な家族や家や仕事、日常を突然失って、途方に暮れていました。
間もなく、何週間もお風呂に入っていないという人たちの声を聞きました。すぐに、協力を呼び掛けてボイラーや浴槽を運び込み、石巻市の学校の校庭に、仮設のお風呂を設営しました。そして、被災者に入っていただいたのです。
ぼくはそれを「千人風呂」と名づけました。長野県諏訪湖畔の片倉館や八甲田山の酸
ヶ湯(すかゆ)温泉など、各地にも「千人風呂」と呼ばれる名湯があります。ぼくたちの「千人風呂」は温泉ではなく水道水でしたが、たくさんの被災した人たちに入ってもらいたいという思いから、この名をいただきました。
「体も心も温まって、やっと生き返った!」
湯上がり、ほおをピンク色にして、笑顔でそう話してくれたことは忘れられません。つらいとき、不安やストレスが多いとき、お風呂に入って温まることが、日常を取り戻すきっかけになるのです。
やがて、小さな仮設の「千人風呂には人のつながりができました。被災者が孤立せず、ゆるやかにつながることは、復興を目指すうえでとても大切なことです。
がん患者の命の温泉
もう一つ、温泉で忘れられない話があります。東京でビジネスマンをしていた男性が末期の前立腺がんとなりました。東京の有名な病院で「もう治療法はない」と言われ、「それなら、温泉のある蓼科の山荘で最期の日々を過ごしたい」と希望しました。
「あなたの望むことをぼくたちはサポートしたいと思っています。何がしたいですか」
ぼくは山荘を往診し、男性にそう聞きました。すると、意外な答えが返ってきました。
「ぼくは、鎌田先生にうちの自慢の温泉に入ってもらいたい」
彼自身は、もう自力で温泉に入る力がありませんでした。前日、若い理学療法士に背負ってもらい、一緒に温泉に入ったことに「ぼくはもう十分」とうれしそうでした。
ぼくは、彼のすすめに応じて、温泉に入れてもらいました。医師になって44年、初めてのことです。でも、彼が大切にしてきた「日常」にぼくを招き入れ、それにぼくが応じたことで、彼はとても満足気でした。2カ月後、彼は亡くなりましたが、「お父さん、いい顔をしている」とご家族も涙を浮かべながら話していました。
人は裸で生まれてきました。死んでいくときも、すべてを手放していきます。ときにはゆったりと温泉に浸かり、自分にとっていちばん大切なものは何なのか、シンプルに問い直す。そんな時間が、人生には欠かせないものだと思っています。
アイスランドにある世界最大の露天風呂ブルーラグーン。