樹木希林さん、永六輔さん...人生の達人から学んだ生き方・死に方/鎌田實

雑誌『毎日が発見』で連載中。医師・作家の鎌田實さんの「もっともっとおもしろく生きようよ」から、今回は鎌田さんが「生き方・死に方」について語ります。

 

不完全さをおもしろがる

9月に75歳で亡くなった樹木希林さんとは、何度か対談したことがあります。なぜか、ぼくのことを気に入ってくれ、自宅に招かれました。

コンクリート打ちっぱなしのモダンな室内には、家具が上手に配置されていました。ものはほんのわずか、ほしいものだけ持っていればいい、というのが樹木さんの考え方でした。

樹木さんらしいクスッと笑ってしまう話があります。ある会館のオープニングセレモニーに呼ばれたときのこと。ホテルに前泊した樹木さんは、朝、着物を着ようとして、帯締めを忘れたことに気づきました。

咄嗟にホテルの部屋を見渡して、これでいいや、とひらめいたのが、なんと電気ポットのコード! セレモニーで皇室の方から「いいお着物ですね」などとほめられ、コードの端のプラグを見せたい衝動に駆られたとか。

こうしたハプニングや失敗にも動ぜず、個性や味にしてしまうのは、彼女の真骨頂でしょう。乳がんが全身に転移しても、現状を受け入れ、むしろ、おもしろがるように精力的に生き抜いたように思います。

 

個性は日々、丁寧に続けていくことで醸成される

一昨年94歳で亡くなった佐藤初女(はつめ)さんは、青森の山の中にある「森のイスキア」で、多くの人に食を提供してきました。

樹木希林さん、永六輔さん...人生の達人から学んだ生き方・死に方/鎌田實 1812p143_01.jpg青森県の岩木山麓で活動していた佐藤初女さん。

 

彼女のおむすびは、「食は命」という言葉そのもの。生きることにつらくなった人がおむすびを食べ、勇気や気づきをもらったといいます。

ぼくも、そのおむすびをいただきました。口の中でハラリとほどけ、お米がほどよく粒立っていました。特別な食材は使っていません。ただ丁寧に心を配って作ることで、おむすびがこんなにもおいしいものになるとは!

食べること、そして、その食を人と分かち合うことの大切さ。初女さんのおむすびは、そのことに気づかせてくれました。

 

 

「帽子は、かぶっていると似合ってくるんです」
そんな言葉を残してくれたのは、日本の帽子デザイナーの第一人者、平田暁夫(あきお)さんでした。ぼくが平田さんの帽子店を訪ねたのは、彼が89歳で亡くなる数年前。木型をとり、夏用と冬用の帽子を五つ作ってもらいました。

樹木希林さん、永六輔さん...人生の達人から学んだ生き方・死に方/鎌田實 1812p143_02.jpg平田暁夫さんの帽子店で。

 

それ以来、ぼくはイラクの難民キャンプへ行くときも、チェルノブイリの汚染地域へ行くときも、日本各地の災害被災地へ行くときも、帽子をかぶるようになりました。平田さんの言葉のように、支援活動も継続することで、自分の生き方になっていくと信じているからです。

 

 
次世代のために、果たすべき役割を意識する

菅原文太さんとは、長いつきあいでした。「鎌田さん、そろそろカレーが食べたいなあ」という文太さんの合図で、蓼科のカレー屋さんによく一緒に行きました。

樹木希林さん、永六輔さん...人生の達人から学んだ生き方・死に方/鎌田實 1812p143_03.jpg文太さんとはよく一緒にカレーを食べた。

 

彼は、菅原文太的生き方の美学を持っていました。膀胱(ぼうこう)がんになったとき、「立ちションができなくなったら、菅原文太じゃない」と、放射線などによる膀胱温存療法を選択しました。

「ぼくらの子孫がオギャーとこの世に生まれて、ああ地球に生まれてよかったと感じられる環境を守らなきゃいけない」

俳優業の傍ら、山梨県韮崎(にらさき)市で自然農法による農耕の日々を送り、81歳で亡くなるまで、次世代のために発言し続けました。

 

ユーモアは、余分な力を抜いてくれる

一昨年、83歳で亡くなった永六輔さんも、社会や子どもたちのためにきちんと発言し続ける人でした。永さんからはたくさんの大切なことを学ばせてもらいましたが、最も真似をしたいと思うのは、ユーモアです。

樹木希林さん、永六輔さん...人生の達人から学んだ生き方・死に方/鎌田實 1812p143_04.jpg永六輔さんのユーモアは僕のお手本です。

 

「ぼくのあこがれは、野垂れ死に。死体をひっくり返して、この顔の長さは永六輔だよと言われるような終わり方がいいな」
「死ぬっておもしろいじゃないですか。動いていたものが動かなくなるんだから」
「『がん』という言葉の響きがよくない。これからは『ポン』にしましょう」

病気や死というものでさえ、永さんが語るとユーモアになってしまいます。そんなふうに力を抜いて、病気や死に向き合えたらいいなと思います。

 

よく食べ、よくしゃべり、よく歌う

この連載の第1回で、105歳まで生きた日野原重明先生を「人生を楽しむ達人」と書きました。日野原先生は、「死に方の達人」でもあります。ぎりぎりまで元気で、自立した生活をし、やりたいことを続けることができたのです。

関連記事:「「日野原重明先生は楽しむのが上手な人でした」/鎌田實」

日野原先生に学ぶべきことは、寝たきりにつながるフレイル(虚弱)予防が、上手にできていたこと。日野原先生の肉好きは有名でしたが、たんぱく質は筋肉のやせを防いでくれます。

また、よく食べ、よくしゃべり、よく歌う習慣も、口の機能を正常に保ち、栄養不足や誤嚥性肺炎にならないようにするのに一役買いました。

よく歩くこと、好奇心にあふれていたことも、彼の健康を支えていたと思います。

日野原先生は、経管栄養や胃瘻(いろう)などの延命治療を拒否して、自宅で亡くなりました。樹木希林さんも永六輔さんも、最期は自宅がいいと自分で決めましたが、自分の人生を自己決定することは、最も重要で、最も基本的なことだと学びました。

 

 

鎌田 實(かまた・みのる)さん

1948 年生まれ。医師、作家、諏訪中央病院名誉院長、東京医科歯科大学臨床教授。チェルノブイリ、イラクへの医療支援、東日本大震災被災地支援などに取り組んでいる。『だまされない』(KADOKAWA)、『曇り、ときどき輝く』(集英社)など著書多数。

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この記事は『毎日が発見』2018年12月号に掲載の情報です。
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