両親のただ一回きりの海外旅行から学んだこと。人生を先送りしない/岸見一郎「老後に備えない生き方」(3)

pixta_24188720_S.jpg『毎日が発見』本誌で連載中の哲学者・岸見一郎さんの「老後に備えない生き方」。今回はその3回目を掲載します。

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いつかカウンセリングにきていた女性は最初の頃は杖をついてきていた。いつもカウンセリングが終わった時、「私は話を聞いてもすぐに忘れてしまうので、今日の話を簡単にまとめてもらえないでしょうか」といわれた。

自分が話したのにまとめるのは簡単ではなかった。まとめられるくらいなら一時間も話をしたりしないとも思ったが、差し出されるノートに何も書かないわけにはいかなかった。私がよく書いたのは次の言葉である。

「人生を先送りしない」

同じ言葉を何度も書いたのを覚えている。私の話の結論ははっきりしているからである。「今ここに」生きていない人は多い。これがどういう意味なのかは少しずつ考えていきたいが、今したいことがあるのなら今すればいいので、先送りしてはいけないという意味である。

無論、したいことでもできないことはある。人生には「するべきこと」「したいこと」「できること」しかない。このうちできることは「できること」だけだからである。このことを先の「人生を先送りしない」と重ねると、「今できることをして、人生を先送りしない」ということになる。

やがて、元気になったこの方は杖を持たずにやってこられるようになって私を驚かせた。

 

私の母は脳梗塞で四十九歳で亡くなった。当然のことながら、若い時の母しか思い浮かばない。若い時の母と同い年の友人が存命であると知った時、もしも母が生きていれば、今頃どんな話を母とするのだろうと思ったりしたものだ。その母が生前よくいっていたのは、「子どもたちが大きくなったら旅行に行く」だった。母がそんなことをいっていた時、私はとうに「大きく」なっていたのだから、子どものことを考えないで旅行に出かけたらよかったはずなのに、なぜか行かなかった。

父と母が泊りがけで出かけた記憶はほとんどない。出かけられなかったというのが正しい。祖父母が元気な間は父と母は同じ会社ではなかったが、毎朝一緒に出勤していた。

ところが、私が小学校に入ってまもなく、母が義母(私の祖母)の介護をするために、それまで勤めていた会社を辞めた。祖母が亡くなってからもなお、なぜ二人で出かけることがなかったのかは父も母も亡くなった今となってはわからない。

母の弟に当たる叔父が台湾で客死した時に、父と母が遺体を引き取りに台北へ出かけたことはよく覚えている。私が高校生の時のことだった。父と母が出かけたただ一回きりの海外旅行が叔父の遺体を引き取るためだったことはつらかっただろう。

母とてそんなに早く自分が死ぬことになろうとは思ってもいなかったはずである。そんな母のことを思うと、できることはできる時にしないといけないと思った。子どもたちが大きくなってからと思っていると、それまでに何が起こるかは誰にもわからないので、結局、できないで終わってしまうことがありうるからである。

家庭の主婦から夫や子どもたちを置いては旅行に出かけられないという相談を受けることがある。実のところ、出かけられないわけではない。ある時、親戚に不幸があって一人で法事に出かけることになった人がいた。数日後、家に帰ってきたその人はさぞや皆は困っていると思っていたところ、玄関先で思いがけず、家族の笑い声を聞いた。「もう帰ってきたのか。もっとゆっくりしてきてもよかったのに」。そういわれたその人は落胆した。絶対出かけられないことなどないのである。

 

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<教えてくれた人>
岸見一郎(きしみ・いちろう)先生

1956年、京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書はベストセラーの『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)をはじめ、『幸福の条件アドラーとギリシア哲学』(角川ソフィア文庫)など多数。

この記事は『毎日が発見』2018年2月号に掲載の情報です。
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