「ありがとう」を期待してはいけない/岸見一郎「老後に備えない生き方」

pixta_30173341_S.jpg『毎日が発見』本誌で連載中の哲学者・岸見一郎さんの「老後に備えない生き方」。今回はその12回目を掲載します。テーマは「生きていることがありがたい」。

◇◇◇

前の記事「迷惑をかけない人生の終わり方はない、と思っておいた方がいい/岸見一郎「老後に備えない生き方」はこちら。

前回、老いや病気のためにできないことが増えても、そのことでまわりの人に迷惑をかけるのではなく頼るのだと考えればいいと書いた。
かつて私が心筋梗塞で入院していた時、ある看護師さんからこんな話を聞いたことがある。

「私はおじいちゃん子でした。中学生の時、そのおじいちゃんが入院したので、見舞いに行きました。そうしたら、おじいちゃんは髪の毛も梳(と)かしてもらえず、髭(ひげ)も伸び放題だったのです。看護師さんはそこまでしてくれなかった。それで、私は毎日通って身体を拭いたりしました」

この時の経験が後に看護師になることの動機になったということだった。
「ええ、病気の時も人間らしくあるとはどういうことか、人間らしくあるためにはどんな援助ができるかを考えました」

無論、見舞いに行った人の誰もがこのようなことを考え、看護師になろうと思うわけではないが、この看護師さんにとっては、祖父の病気が人生を決める大きなきっかけになったわけである。

「おじいちゃんは心筋梗塞で亡くなりました。その前日、たまたま母に用事があって電話したらおじいちゃんが電話に出たのです。長く話しました。それが最後でした」
この方は病院にやってきた孫娘から世話をされたこと、最後に電話で長く話せたことを喜ばれたであろう。後に看護師となった孫はそのようにして祖父に貢献することができた。

他方、祖父は入院した時に頼ることで、孫娘に後の自分の人生を決めるきっかけを与えた。
その意味で、貢献することができたのである。こんなことをすれば人に役立てるだろうというようなことすら思わず、知らぬ間に貢献できているのがいいと私は考えている。

その看護師さんも十分世話してもらっていない祖父を見て、止むに止まれぬ気持ちで病院に通って祖父の世話をした。そのことで祖父からほめられようとは思っていなかっただろう。たとえ病院でよくされていても、祖父が好きだったので病院に駆けつけたに違いない。

長年、私は看護学生に教えてきた。若い人たちに、なぜ他にも多くの仕事があるのに人の生命を預かる看護師になりたいと思ったのか、学生にたずねてみたことが何度もあった。ある学生はいった。
「患者様とご家族に、退院される時に、『ありがとう』といってほしいから」

そのように考えて人が看護師になって、手術室やICU(集中治療室)に勤務することになったら何が起こるかは目に見えている。多くの患者はそこでは意識がないので、医療従事者は「ありがとう」とはいってもらえないのである。

私はこの話を聞いていたので、自分が手術を受けた時、歩けるようになってから手術の時にお世話になった看護師さんらにお礼をいいにいったが、普通はそんなことをする人はいないだろう。

手術室に入って、医師が「動脈ライン確保」といったのを聞いたのを最後に、意識はなくなった。次に気づいた時には手術室ではなく、ICUにいた。手術室で起こったことは何も覚えていなかった。手術室にいた人たちの誰の顔も覚えていない。

患者や家族は医師や看護師ら医療従事者に「ありがとう」というだろう。入院している時に見舞いにやってきた家族や友人に「ありがとう」というだろう。
しかし、医療従事者が患者や家族から「ありがとう」といわれることを期待するのは間違いである。たしかに「ありがとう」といわれたら貢献感を持てるので、ハードな仕事でも頑張ろうと思える。しかし、感謝されることを励みに仕事をするのはおかしい。

見舞いに行く人も同じである。感謝されようと思って見舞いに行くわけではない。心配なので、取るものも取りあえず、病院に駆けつけるだけである。
自分がしたことで感謝されたいと思っている人は、介護もつらいものになる。病の床にある人は痛みや不安のために「ありがとう」という余裕はないからである。しかし、たとえ親から「ありがとう」といわれなくても親の世話をすることで貢献感を持てる人は、何もいわれなくても介護はつらいものにはならない。
どうすれば何もいわれなくても、貢献感を持つことができるか考えなければならない。

 

理想ではなく現実を見る

読者からの相談を見よう。
「九十七歳の母、頭もしっかりしています。春に体調を崩し、食欲が減り、何となく下り坂の様子です。そんな姿をなかなか私自身が受け入れられず、いつまでも元気でいてくれるとの思いで、現状と葛藤しています。どのように心を切り替えていくといいのでしょう」

まず、できることは、理想の、あるいは、かつての親を頭の中から追い払うことである。元気だった親が弱っていくのを見るのは子どもとしてはつらいものがある。

作家の北杜夫が、歌人である父親の斎藤茂吉について次のように書いている。
「子供の頃ひたすら怕(こわ)く煙たい存在だった父は、だしぬけに尊敬する別個の歌人に変貌したのである。私は打って変って父を尊敬するようになり、高校時代それを模した稚拙な歌を作ったものだ」(北杜夫『青年茂吉』)
後に医師になった北だが、旧制高校時代に文学を志望した。初めて文学への眼を開かせたのは父、茂吉の短歌だったのである。

その後、次第に茂吉に差す老いの影を北は見逃さなかった。北は茂吉が散歩の折、いつも持ち歩いていた手帳をこっそりと盗み読んでいた。茂吉はそこに短歌を書き付けていたのである。北は、茂吉にまだ旺盛な創作意欲があることを知れば安堵し、逆に拙(つたな)い歌を見つけると、父親の衰えに失望した。

親が次第に衰えていき、過去のことを忘れたり、性格が一変したかのように見えたりするようなことがあれば、かつての親と目の前にいる現実の親とのギャップはあまりに大きなものに見える。

しかし、親についてこうあってほしいという理想をリセットし、現実の親を受け入れることができなければ、現実の親をその理想から引き算して見ることになる。
歳を重ねたからといって、また、病気になったからといって何もかもできなくなるわけではないのに、親を理想から引き算して見ている限り、少しよくなっても、まだできることがあっても気づかないことになる。

 

次の記事「気がつけば木が成長するように成熟している。それが人生だ/岸見一郎「老後に備えない生き方」」は近日公開。

※この他の「老後に備えない生き方」はこちら。


岸見一郎(きしみ・いちろう)先生

1956年、京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書はベストセラーの『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)をはじめ、『幸福の条件アドラーとギリシア哲学』(角川ソフィア文庫)など多数。

この記事は『毎日が発見』2018年7月号に掲載の情報です。
PAGE TOP