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ビタミンを最初に発見したのは誰か
ビタミンは、エネルギー源や体をつくる成分ではないが、ほかの栄養素がうまくはたらくために欠かせない、機械の潤滑油のような役目を果たしている。また、人間が必要とするビタミンの量はとても少ないが、体の中でほとんどつくることができないため、基本的に食べ物からとらなければならない。
ビタミンは、ラテン語で「生命」を意味する「vital」、「窒素化合物」を意味する「amine」からの造語。1911年に、米ぬかからビタミンを分離することに成功した、ポーランドの生化学者カシミール・フンクによって命名された。
ビタミンの名づけ親であることからもわかるように、その最初の発見者はフンクとされている。しかし、フンクの発見からさかのぼること数カ月、すでにビタミンの存在を発見していた日本人がいるのだ。
それは東京帝国大学(現在の東京大学)教授で、理化学研究所の創設者の一人である鈴木梅太郎(うめたろう)博士だ。当時の日本では脚気(かっけ)に悩まされる人が多かったが、鈴木博士はその原因が、米を精米して白米にするときに捨てられる米ぬかにあると考え、研究を開始。1910年12月に、その中から抗脚気成分の抽出に成功すると、この新物質を米の学名であるオリザ・サティバにちなんで「オリザニン」と命名した。
じつはこれこそが、のちに脚気の画期的な治療薬として多くの患者の命を救うことになるビタミンB1だった。
鈴木博士の発見は、1911年8月にはドイツの学術速報誌に掲載されたが、日本語で発表したため注目されることはなかった。しかしその後、より影響力の強いイギリスの科学誌で、フンクの論文が大々的に発表されたことから、発見者の名誉はフンクのものになってしまったというわけだ。