「普通過ぎることがコンプレックス」だったという俳優の市毛良枝さんは、あるものとの「出合い」で随分救われたそう。さらに、公開中の映画『望み』に出演するきっかけには、ご自身が続けている「あるボランティア」の影響もあったそうなんです。
関わるべき作品だと思った映画『望み』
――雫井俢介さんによる原作を『人魚の眠る家』等の堤幸彦さんが監督した映画『望み』。無断外泊をした同日、同級生が殺害されたことから事件の関与を疑われる息子・規士(ただし)に、犯人であっても生きていてほしい母親と、被害者であっても息子の無実を信じたい父親の〝望み〟が交錯する本作で、規士の母・貴代美を石田ゆり子さん、その母・扶美子を市毛さんが演じています。
どちらの結果になっても悲しいお話ですよね。
私はそのいちばん真っただ中に登場するので、石田さんも夫役の堤(真一)さんも本当に大変そうでした。
特に石田さんは精神的にかなり疲労されていて、かわいそうでしたね。
それなのに、私は親切な人ほど残酷なんだと感じさせる登場の仕方をするので、なんだか申し訳なかったですね。
堤監督からは「じっと目を見つめて話してください」とアドバイスがありました。
「とにかくずっと顔を見て話してください」と。
そうすると〝圧〟があるんですよね。
私と話したあとに陰で堤さんが「義母さんを何とかしろよ」と石田さんに言うのが、セリフとはいえリアルでした。
――どこに惹かれてこの役を引き受けたのですか?
いままで公にしたことはないのですが、20年ほどボランティアで少年院に行っていて、この映画に登場するような少年たちと接触があるものですから、関わるべき作品だと思ったんです。
以前、法務省が主催する全国矯正展(全国刑務所作業製品展示即売会)のテープカットに呼んでいただいたことがありまして、それがきっかけです。
やり始めたら最低でも月に一度は行くと決めていたのですが、当時はいまより多忙だったので、実際に始めることができたのはそこから10年ほどたっていたのですが。
――20年間ずっと、月に一度訪問されてきたのですか?
母の介護がいちばん大変だったときに8カ月お休みしたことがあるのと、いまは新型コロナウイルスの感染防止で2月を最後に行けていませんが、それ以外は月1ペースで行っています。
自分で決めたということもありますが、彼らは裏切られてきた少年、青年が多く、大人は裏切るものと思っています。
でも、「そうじゃない大人もどこかに必ずいるから」と伝えてきているので、待ってくれている彼らを裏切るわけにはいきません。
――市毛さんにとって『望み』で描かれていることは、一層切実に感じられると?
本当に切ないです。
特にいまは真面目だったり正義感が強いことで犯罪に巻き込まれてしまうケースも多いですよね。
例えば目の前で友達が危険な目に遭っていたら、助けられる子を褒めてあげたいけれど、親の立場なら逃げてほしいと思う気持ちも理解できます。
映画の中の貴代美さんも旦那さんの一登さんも、お互い間違ったことを言っているとは思わないし、だからこそ苦しいんですよね。
普通過ぎることがコンプレックス
――ボランティアは初耳でしたが、登山に関わる活動や環境問題にも詳しくていらっしゃいます。
それで言うと、ちょっと変な俳優なんです(笑)。
24時間、つねに俳優の感性で生きている人たちばかりの中にいて、私にはそれができません。
よく「パートタイムです」なんて言うんですけど、普通であり過ぎて、ずっとそのことがコンプレックスでした。
ところが40歳で登山と出合って、開き直りました。
だってテントを担いで山に行って、そのへんの地べたで眠れちゃうんですから。
「高級な羽根布団じゃなければ眠れませんわ」なんて、嘘でも言えるわけがありません(笑)。それで登山の本を出したときに、本当の自分を洗いざらい書いてしまいました。
その結果「お前はもういらないよ」と言われるならそれまでだと覚悟したのですが、その後も普通に仕事をいただけたので、こんな私でもいいと言ってくださるなら続けてみようかしら、という感じで続けてきました。
それでも辞めようと思わなかった年がないぐらい、自分では俳優に向いていないと思ってきましたが、60歳になったとき「この年までやらせてもらえたということは、やっていいということかもしれないから、自分から辞めるのはよそう」と思えたのです。
――そういう心境の変化にも登山の影響が?
登山に出合って随分救われました。
最初の登山というのが、私を山好きにするために神様が仕組んだとしか思えないぐらい素晴らしい体験で。
それまで自分は体力がない、運動能力もゼロだと思ってきたけれど、3000m近い山を二つ登ったのに、帰りはスキップしたくなるぐらい楽しくて、体力がないのは思い込みだったのかもと考えるきっかけになりました。
いまだに違う自分を発見できているのは、そのとき登山という扉を開けたおかげ。
60歳から社交ダンスを始めたのもその延長線上です。
同時に肉体改造も始めて、ものすごい勢いでいま、体の形が変わっているんです。
60年以上付き合ってきた体なので、すぐに、完全にというわけにはいきませんが、O脚もだいぶ直ってきましたよ。
60歳から社交ダンスと同時に肉体改造も開始。「ものすごい勢いでいま、体の形が変わっています」
ダメなときはダメだと言ってしまっていい
――自分ではどうにもできず祈るしかない状況を前にしたとき、どんな心持ちでいようと思われますか?
よく友人とも、「真面目に生きていても災難は突然降ってくるものよね」と話すんですけど、そんなときに嫌なことを嫌だと思って、そっちにばかり思考を持っていっても何も解決しないと思うんですね。
だから逃げかもしれないけれど、楽しいことを考えるようにします。
それでもダメなときは、「私ダメなの」って人に言うようにしています。
介護うつになりかけたとき、会う人会う人に「私ちょっと危ないの」と言っていました。
何人かの人に会うと、不思議なことにそのときに必要な言葉をずばっとくれる人に出会えるんですよ。
その言葉で復活できるみたいなことが、経験上何度もあったので、もちろん信頼できる相手か見極める必要はありますが、言ってしまっていいと思うんです。
つらいときって、普段は気付けなかったことに気付けるチャンスでもあるんですよ。
最初の登山のとき、ハアハア言いながら足元を見たら、小さな花が咲いていたんです。
元気なら見過ごしていたであろう、そのちっちゃな花に「こんなに小さくても毎年ここで咲いているんだから、私も頑張らないと」と励まされ、また進むことができました。
いまはそれに近い状況だと思うんです。
あるとき、年上の友人から「三密ってすてきよね」とメールをもらいました。
一瞬驚いたのですが、考えてみたら、私たちはいままでたくさんの人と触れ合って、密着することによって喜びを得てきたんですよね。
いまは不謹慎な言葉のようになってしまいましたが、禁止されなければそんなことは考えなかったかもしれません。
一日も早く三密の世の中に戻れたらいいですね。
●衣装協力:ジャケット、スカート、カットソー、パールイヤリング 全てYUKI TORII INTERNATIONAL(ユキ トリヰ インターナショナル)
●衣装問い合わせ先:株式会社トリヰ 電03-6225-0832
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取材・文/鷲頭紀子 撮影/吉原朱美 イラスト/小川温子