――ところで、ご両親は役者の仕事について、どんなふうにご覧になっていましたか。
父は7年前に亡くなりましたが、94歳の母は、今もテレビで私を見るたびに、「理恵だ、理恵だ」と大喜びしています。
最初の頃は、渋い顔をしていましたが、それでも富山からわざわざ舞台を見に来てくれました。
父は「さっぱり分からん」と言ってましたが、母はゲラゲラ笑ってましたね(笑)。
ただ、両親が私をきちんと認めてくれたのは、テレビに出るようになってからです。
中でも大きかったのが、やっぱりNHK。
1994年の「週刊こどもニュース」が最初なので、だいぶ時間がかかりました。
NHKといえば、2023年は大河ドラマ「どうする家康」にも出演させていただきました。
徳川家康の前にたびたび現れる団子売りのお婆さんの役ですが、家康が若い頃から晩年まで、ずっと団子を売っている面白い役でした。
脚本家の古沢(こさわ)良太さんも「この人いったい、いくつなんでしょう?」と笑ってましたね(笑)。
実は両親は元々、私に安定した生活を望み、富山で学校の先生になることを願っていたんです。
でも、私が「東京で芝居をやりたい」と言ったとき、「自分の人生なんだから、好きにしろ」と許してくれました。
というのも、両親とも昭和一桁生まれで、旧制中学や女学校を卒業した頃、ちょうど戦争で、やりたいことができなかった世代なんです。
父は経済を学びたかったけど、当時、経済学といえばマルクス経済学。
「アカだ!」とにらまれて真っ先に戦地に送られてしまうので、やむなく理系に進んで。
その後、就職して東京で暮らした時期もありますが、長男だったため、家庭の事情で富山に帰ることになりました。
母も若い頃は、社会に出て男性と同じように活躍したかったそうなんです。
当時は女学校を出たら、家事手伝いをしながらお見合いをして、嫁いでいくのが普通。
でも、母は東京で新聞記者をしている従姉(いとこ)に憧れ、自分も東京で働きたいと。
とはいえ、そう簡単にはいかず不満を募らせていたところに、「代用教員をやらないか」という話があり、「仕事ができるなら」と先生になったんです。
そんな経験をしていたので、両親は私の好きにさせてくれましたが、本心は複雑だったでしょうね。
「母が『人に迷惑ばかりかけて』と沈んでいたとき、『みんな元気になるのを待っているよ』と声を掛けたら『そうかね』と気を取り直してくれました。思いを言葉にしてあげることも大事ですね」
親は人生のしまい方を見せてくれるお手本
だからこそ、今後は特に健康を保って、ずっと仕事を続けていきたいです。
幸い、定年があるわけでもないですし、親が頑張る姿を見てきたので、リタイアなんて考えられません。
父は定年退職後、70代後半まで働いていましたし、母も退職後、子どもたちにお茶を教えていましたから。
しかも母は一時、「要介護4」と認定されたときも、目標を持って頑張ろうとしていたんです。
あんなふうに、90歳を過ぎても前向きに生きようとする姿勢は偉いなあと。
そう考えると、親というのは、生き方のお手本であり、人生のしまい方を見せてくれるお手本。
人間はこうやって生きていくんだと、身をもって教えてくれるありがたい存在です。
――健康維持のため、どんなことを心掛けていますか。
まずは、早寝早起きです。
うちは犬を飼っているので、私が家にいるときは必ず朝夕1時間ずつ、散歩しています。
それと、食事は外食や出来合いのものを買ってきて済ませるのではなく、できるだけ自分で作るようにしています。
朝食はだいたいご飯と野菜のお味噌汁。
ただ、野菜だけでなく、肉や魚もバランスよく摂るようにしています。
そのために、きんぴらやお浸し、煮びたし、かぼちゃや豆の煮物などを作り置きしておいて、いろんな種類のものを食べるようにして。
料理は効率を考えて、朝食を片付けるとき、一緒に作ってしまうことが多いですね。
それが10時半頃に終わるので、夕飯の支度も午前中に済ませて。
そうすれば、午後から仕事に行き、帰ってきたら温めるだけで食べられますから。
あとは、休日に作りだめしたり。
そうやって、生活のリズムを整えることを心掛けています。
取材・文/井上健一 撮影/吉原朱美