「いつも自分を人と比べてしまう」「自分は損ばかりしている」。そんな想いで日々モヤモヤしている方、いませんか? そんなときにぜひ知ってほしいのが、今から2500年も前の中国の思想家・老子の言葉。45年間で10万人を診察した精神科医が、その老子の言葉を「意訳」ならぬ「医訳」をしてわかりやすく解説して話題の書籍から「ジャッジフリー」な考え方を連載形式でお届けします。
※この記事は『人生に、上下も勝ち負けもありません 精神科医が教える老子の言葉』(野村総一郎/文響社)からの抜粋です。
自分はこれまで何を達成し、何を残してきたのか。
そう考えると、自分が何も残していないので、とても暗い気分になる。いい歳をして、「何者でもない」なんて、自分の人生が無意味だったような気持ちになる。
そんなふうに「自分の功績のなさ」を嘆いている人もいると思います。
たしかに実績があるのはすばらしいことです。何かの賞や、評価など、はっきり目に見えて「すごい」と言われる人をうらやましく思う気持ちもわかります。同期や同世代に輝かしい功績を残している人がいればいるほど、「それに対して自分は何も残せていない」という無力感は強くなるでしょう。
そんなときは「昆布」のことを考えてみてください。
最近、若い方の間で「あれオレ詐欺」という言葉があると知りました。その意味とは「あれ、俺がやったんだぜ」ということ。つまり「あの大きな仕事は、俺が一枚噛んでるんだ」「○○さんが変わったのは、私のおかげなのよ」といった、自分を誇示する表現の一つだと思います。
しかし、そのように自分の功績をアピールする人はたいしたことがない。むしろ功績のために善行を積もうとする人は偽物である。老子はこのように説いているのです。
以前、とある昆布の職人さんがこんな話をしていました。「『昆布の出汁がきいてるね』と言われるようでは、まだまだなんです。昆布の存在なんて気がつかないけれど、口にした人が『なんか、すごくおいしいね』と感じてくれる。それがかっこいい仕事なのだと思います」
そう、この昆布のように、ほんとうに価値ある何かを為なした人というのは、アピールなどしないのです。
さらに「これは○○さんがやった仕事だ」という足跡すら残さないのが、本物だということです。
考えてみるとたしかにそうです。たとえば、おいしい味噌汁を飲んでいるときに、トコトコと昆布がやってきて「それ、私の味だよ。どう?おいしいでしょ?」と言われたらどうでしょう?
「あ、この昆布が仕事したんだ」という意識のほうが強くなって、ただただおいしいと思っていた純粋な気持ちが消えてしまうと思います。
でも昆布は、そんなことはしません。自分が主役にはならないけれど、主役を陰でおいしく引き立てる。しかもそれなのに「あるのとないのでは大違い」といった役割を、無言でまっとうするのです。
ほかにも、私たちは日々舗装された道路を歩いていますが、その道を誰が作ったのかなんて知りません。電気やガスだってそうですし、大事な家族を救ってくれた薬があったとしても、その開発者の名を知ることなどまずありません。
私たちの生活というのは、そんな無数の「名もなき功績」によって支えられているもので、それこそすばらしい英雄の仕事だと思います。
人間どうしても虚栄心が先に立ち、アピールしたくなってしまうもの。「言ったもん勝ち」という言葉もありますし、そういう人が目立って気になることもあるでしょう。
でももし、あなたが「自分は何も残せていない」と嘆いているなら、そんなことを気にする必要はありません。それよりも、事実として、あなたが日々やっていることは必ず誰かの役に立ち、回り回って誰かの人生を支えています。「ああ、自分は名もなき功績を残しているんだ」とこっそり、人知れず胸を張ればいい。
そのほうが、はるかに高貴な、いい生き方だと思います。
■今回の老子のことば
善(よ)く行くものは轍迹(てつせき)なし。
【医訳】
ほんとうに優れた生き方、ほんとうの業績、功績というものは、あとに何か遺物を残すというようなものではない。優れた生き方とは無為(むい)自然に帰するもの。何か証(あかし)を残すことを企くわだてるようでは本物ではない。
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