職場、恋愛関係、夫婦関係、家族、友人...。毎日自分以外の誰かに振り回されていませんか?
"世界が尊敬する日本人100人"に選出された禅僧が「禅の庭づくりに人間関係のヒントがある」と説く本書『近すぎず、遠すぎず。他人に振り回されない人付き合いの極意』で、人間関係改善のためのヒントを学びましょう。今回はその第9回目です。
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人脈は広いほうがよいという刷り込み
「友人が多い」「人脈が広い」「交友関係が多岐にわたる」......。そう聞くと、あなたはどのような印象をもちますか?「友人が多いというのは、多くの人から慕われているのだろうから、きっとすばらしい人格者にちがいない」そんなふうに思うのではないでしょうか。たしかに、友人が多い人には周囲の人を惹きつける魅力があるのでしょう。それはそれでとてもすばらしいことです。
では、逆に友人が少なく、広い人脈ももっていない人は、人格者ではなく、人間的な魅力もないのでしょうか。私は違うと思います。
友人が多いのはよいこと。そう刷り込まれてはいませんか?
ですから、友人が多くないと、不安を感じたりするのではないかと思います。
・すばらしい人物でありたい
・周囲からもそのような人物として見られたい
この二つは、同じようでいて別物です。自分がすばらしい人物でありたいと思ったとき、必ずしも友人の数は関係ないのです。しかし、すばらしい人物であることを証明する一つの要素として、多くの人が「友人の数」をどこかで気にしている。また、友人の数が多ければ多いほど、自分を評価してくれる人が増えると思っている。そこに、「友人が多い=よいこと(美点)」という図式が生まれる要因があるのです。
取り繕ったりせず、「自然のままの自分の心」で人間関係を築き、結果として友人が多いのであれば、それはとても素敵なことです。問題は、偽りの自分を演じて、周囲から好かれようとつとめ、その結果、友人が多い状態にいることです。
私は、むやみに友人をつくる必要はない、人脈はむやみに広げるものではないと考えています。「え?」と驚かれるかもしれません。
「友人が多ければ、何か困りごとがあったときに助けてくれる人がそのなかにいる可能性が高くなるのに、なぜ?」
「人脈が広ければ、ビジネスチャンスも多く巡ってくるかもしれないのに、なぜ?」
たしかに、困ったことが起こったとき、ビジネスチャンスを狙っているとき、友人たちのなかに、広い人脈のなかに、キーマンとなる誰かはいるかもしれません。しかし、あらためて落ち着いて考えてください。誰もが助けてくれるわけではないのです。キーマンとなる人は、ごくかぎられているのです。
ほんとうに心からあなたを心配して助けてくれる人は、どれほどいるでしょうか?数人いれば、それは大変すばらしいことです。その数人は、真の友人であり、大切な人脈といえるでしょう。
目の前の一人をそっと抱きしめてみる
友人や人脈をつくるとき、最低限、必要なことは何だと思いますか?
それはコミュニケーションです。このコミュニケーションという言葉。もともとは、ラテン語のcommunicatioに由来していて、「分かち合うこと」を意味しているそうです。では、語源に戻って、「分かち合う」という視点から、友人や人脈を見てみましょう。
旬の果物を頂いた。あなたが「自然に」分かち合いたいと思うのは誰ですか?
うれしい出来事があった。その気持ちを「自然に」分かち合いたいのは誰ですか?
悔しくつらい経験をした。その思いを「自然に」分かち合いたいのは誰ですか?
さて、何十人もの友人、何百、何千人という人脈、すべての人の顔が思い浮かぶでしょうか。おそらく、思い浮かぶのは、身近な人。恋人や伴侶、親や子ども、また、親しくお付き合いをしている近所の人や仕事仲間、そして真の親友。それぐらいの人数ではないでしょうか。
では、こんな場合はどうでしょう。誰かが悲しくつらい思いをしている。自分のことのようにその気持ちを分かち合いたい。誰かが喜び、幸せを感じている。それを自分のことのように祝福したい。誰かが楽しい体験をした。体験談を聞いて自分もその思いを共有したい......。
いかがでしょうか。そのように想像を巡らせたときに、あなたには、何人の人の顔が思い浮かびますか?
何人の人の思いをあなたは受けとめ、理解し、心を寄り添わせることができますか?
「分かち合う」。言葉はとてもシンプルで簡単ですが、それを実践することを考えたときには、おのずと人数の制限が生まれてくるのです。
大切な人やものを失って嘆き悲しむ人が何万人といても、あなたは一人しかいません。そうであるなら、目の前の一人をそっと抱きしめ、あたたかい言葉をかけることで精いっぱいではありませんか?
友人はいらない、人脈は必要ない。そうお伝えしているわけではありません。自分の許容範囲を知る、器をきちんと把握する。言葉を換えれば、自分の「自然(あるがまま)」を受け容れるということです。すると、「分かち合う」ことの意味があきらかになり、自然な広がりの範囲が見きわめられるのです。
あるがままの自分で、あるがままの相手と、自然に結びつくということでいいではありませんか。友人の数も、人脈の広さも、そこにおまかせしておきましょう。
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1953年、神奈川県生まれ。曹洞宗徳雄山建功寺住職、多摩美術大学環境デザイン学科教授、庭園デザイナー。大学卒業後、大本山總持寺で修行。禅の思想と日本の伝統文化に根ざした「禅の庭」の創作活動を行い、国内外から高い評価を得る。2006年「ニューズウィーク」誌日本版にて「世界が尊敬する日本人100人」にも選出される。主な著書に『禅シンプル生活のすすめ』、『心配事の9割は起こらない』(ともに三笠書房)、『怒らない 禅の作法』(河出書房)、『スター・ウォーズ禅の教え』(KADOKAWA)などがある
『近すぎず、遠すぎず。』
(枡野俊明/KADOKAWA)
禅そのものは、目に見えない。その見えないものを形に置き換えたのが禅芸術であり、禅の庭もそのひとつである。同様に人間関係の距離感も目に見えない。だからこそ、禅の庭づくりに人間関係のヒントがある――「世界が尊敬する日本人100人」に選出された禅僧が教える、生きづらい世の中を身軽に泳ぎ抜くシンプル処世術。