誰かの言葉にすぐ反応。SNS、ツイッター、ネット記事に常に反応......毎日、ムダな「反応」をしていませんか? すべての「苦しみ」は、自分が「反応する」ことから始まっています。それを理解することが、悩みを解決する第一歩です。
本書『反応しない練習』で、ブッダの超・合理的な考え方を学び、あなたも‟反応しない練習"を始めてみましょう。
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「満たされない心」と、どう折り合うか
"求める心"のことを、仏教の世界では「渇愛(かつあい)」と表現してきました。
「求めつづけて、いつまでも渇いている、満たされない心」のことです。たしかにこれは、私たちの実感としてありますね。
大切なのは、「心とは、そもそもそういうものだ」と理解しておくことです。心とは求めつづけるもの。それゆえに渇きつづけるもの――。
もし、その実感を受け入れないで"求める心"を真(ま)に受けて(反応して)しまえば、心は満たされなさに駆られて、次から次へと「人生の変化」を求めつづけます。「最近ムナしいな、昔はもっと楽しかったのに」とやたら過去を振り返ったり、「こんな仕事、やってられるか」と転職を繰り返したり。浮気やクスリといったアブナイ刺激に走ったり、「自分はこんなものではない」なんて、ふんぞり返って超傲慢になってしまうかもしれません。
たしかに、求めることで見えてくる「次の可能性」もあるでしょう。ただブッダが教えるのは、「求めても満たされるとは限らないのが、心である」「反応してもしようがない(空回りするだけで意味がない)」という理解です。
「そんな夢のない理解なんて、つまらない」と感じる人もいるかもしれません。ただ、「心は求めつづけるもの」と理解すると、不思議な心境の変化が訪れることがあります。つまり、「このままではいけない」「何かが足りない」という得体のしれない欠落感や焦り、心の渇きが収(おさ)まって、「人生はそういうもの」と、もっと大きな肯定が可能になるのです。
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僧侶、興道の里代表。1969年、奈良県生まれ。中学中退後、16歳で家出・上京。放浪ののち、大検(高認)を経て東大法学部卒業。現在、インドで仏教徒とともに社会改善NGOと幼稚園を運営するほか、日本では宗派に属さず、実用的な仏教の「本質」を、仕事や人間関係、生き方全般にわたって伝える活動をしている。著書に『悩んで動けない人が一歩踏み出せる方法』(WAVE出版)、『独学でも東大に行けた超合理的勉強法』(サンマーク出版)、『消したくても消えない「雑念」がスーッと消える本』(大和出版)がある。著者ブログはこちら。
(草薙龍瞬/ KADOKAWA)
すべての「苦しみ」は、自分が「反応する」ことから始まっています。それを理解することが、悩みを解決する第一歩です。その事実と、具体的な方法論を教えてくれるのは、2500年前の悟った人、ブッダ(原始仏教)。本書では、原始仏典を紐解きながら、現代人の人生に活かせる合理的な考え方を紹介します。