超・長寿時代の日本を生き抜くために最も重要な資産は「健康」です。複雑な社会をサバイブできるメンタル管理、ワクチン接種で予防できるがんのことなど、堀江貴文氏が医師に聞いた「ホンネ情報」をお届けします。高パフォーマンスで人生100年を生きるためのホリエモン流「ライフスタイル革命論」です。
※この記事は『健康の結論』(堀江貴文/KADOKAWA)からの抜粋です。
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死への一線を越えさせる3つの要因に注意しろ
およそ4人に1人は自殺を考えたことがあるとしても、その大半は生涯自殺することはない。行動に移す人はごく一部だ。では自殺に至る人は何が違うのだろうか。それを説明する「自殺の対人関係理論」(Joiner TE et al,2009:Van Orden et al,2010)というものがある。次の3つの条件が揃ったとき、人は死のハードルを乗り越えやすくなってしまうというものだ。
1.所属感の減弱
居場所がない。自分は誰にも必要とされておらず、孤独であるという孤立感。つながりの欠如。自分が死んでも誰も困らないという感覚。
2.負担感の知覚
自分は迷惑をかけてばかりだ。自分がいないほうが周りの人は幸せになれる。自分の存在自体が周りの人の迷惑になっているという感覚。
3.自殺潜在能力
体の痛みなんて平気だ。怖くない。死にたいと思っても「苦しそうだ」などと考えることで思いとどまるものだが、暴力や自傷行為、アルコールや薬物への依存などで自分の体を破壊する行動に慣れていると、自殺行動への心理的な抵抗が弱くなりがち。
自殺願望があったとしても、行動を起こすのには心理的な高いハードルがある。将来への希望がわずかでもあったり、仕事への責任感や周囲への配慮が歯止めになったりすることもある。そういったものがなくなったとしても、何といっても死に対する恐怖感や自分の体を傷つけることに抵抗感があり、それが人に自殺を思いとどまらせる。
ところが、前述の3つが揃っていると、死への一線を乗り越えさせ、自殺のリスクが高まる。「ちょっとこの状況が辛いな」と感じたときや、「この人大丈夫だろうか?」と思ったときにはこの3つのポイントを思い起こしてほしい。そして、3つが揃っているときは、どれか1つでも取り除くよう意識してみてほしい。
「自傷とは辛い自分を切り離す行為。」
10代のおよそ10人に1人は「自傷」の経験があった
日本人の「自殺のリスク」を考慮する上で、一つ注目すべき事象がある。若者の「自傷行為」だ。日本では10代のおよそ10人に1人は「自傷」の経験があるという。自傷行為の中でも最も多いのは、刃物で手首に傷をつける「リストカット」だ。
自傷とは心の辛さ、苦しさを何とかしようとしたときに、代替的におこなう行為である。死にたいほど辛い気持ちを、体から「切り離そう」という気持ちから派生することが多い。皮膚が痒いときに冷やすことで痒みの感覚を麻痺させ、和らげたりすることがあると思うが、それと同じように、心の不快感や辛さに身体的な痛みで蓋をしたいためにとる行動なのである。
しばしば、SNSで「死にたい」と呟く人やリストカットをする人たちは、「どうせ本気で死ぬつもりはないだろ」とか、「死にたいという人に限って死なない」といわれたりもするが、実はそれは間違いである。
もちろん、自殺を決意しているわけではないかもしれないが、何かしら「死にたいほど辛い状況」があって、それが長期に続けば自殺が差し迫る危険性があるため、楽観はできない。自傷は多くの場合、エスカレートしがちである。そこにアルコールや過量服薬が重なれば、朦朧とした状態で明確な意図なく、太い血管を傷つけてしまい、死に至る場合もある。
自傷や「死にたい」気持ちを経験した人は、10年以内に自殺によって死亡するリスクがそうでない人に比べて数百倍であるということも調査で明らかになっている(Owens et al,2002)。
そもそも自傷や自殺をする人には、共通の行動パターンがある。それは「辛いときに人に助けを求めない」ことだ。誰かに助けを求める代わりに、自分の体を傷つけてしまうのである。しかし、こうしたことはあまり一般に知られておらず、自傷を繰り返す人やSNSで死にたいと呟く人は「メンヘラ」と呼ばれたりして疎んじられがちだ。そしてますます孤立するという悪循環に陥ってしまうことが多いのだ。
「メンヘラ」との正しい向き合い方
とはいえ、誤解を恐れずハッキリと言ってしまえば、「メンヘラには関わりたくない」というのが多くの人の本音ではないだろうか。「死にたい」と言われても、その気持ちにどう応じたらいいのかが分からない。助けたい気持ちはやまやまだとしても、「重い......」「面倒くさい」、限られた自分の時間を他人の「病み」に費やすのは現実的に苦しいというのが率直な意見ではないだろうか。
僕は、そういう考えを持つことが当たり前であることをまず認めたほうが、結果的に多くの人を救えるのではないかと思っている。なんとか力になりたいことと、相手にとことん付き合うことは別だ。
過度な共感や「自分がなんとかしてやる」という気負いは共倒れを招いたり、助けているうちに支配的な関係性になったりして、かえって事が複雑化することもある。恋人や友人、親子など近しい関係であっても、どちらか一方が「助ける」「頼りきる」という状況は、ときに精神的に不健全なパワーバランスを生む危険性がある。
精神科医の松本先生(注※)も、自殺予防において支援者やチームワークの重要性を訴えている。そもそも自分一人で助けられる範囲はそれほど大きくない。友人や知人だからこそ言えないこともあるし、他人のほうがむしろ踏み込んで相談できる問題もある。
辛い思いを吐き出せる風穴を増やすことが、先ほど挙げた「1.所属感の減弱」を和らげ、「2.負担感の知覚」を減少させ、「3.自殺潜在能力」を低下させることにもつながっていく。
「僕はメンヘラを減らしたい。」
自分が突き放したら、最悪の事態が起きるのではないかと心配かもしれないが、「できないと相手に伝えること」と、ただ「突き放すこと」は違う。「それは無理」「でもこれはできる」と自分ができることを明示し、できる範囲で関わっていくのが合理的だ。
注※ 松本俊彦先生
1967年生まれ。国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所、薬物依存研究部部長、薬物依存症治療センターセンター長。
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