親の介護で疲弊する子、こじれる関係...。さまざまな問題を抱える家庭での介護ですが、認知症を患った実父の介護の中で、専門とするアドラー心理学に「親との対人関係上の問題について、解決の糸口を見いだせる」と哲学者・岸見一郎さんは感じたそうです。今回は、そんな岸見さんの著書『先に亡くなる親といい関係を築くためのアドラー心理学』(文響社)から、哲学者が介護者の目線で気づいたことをご紹介します。
【前回】「出口は親の死・・・」似ているようで違う介護と育児/先に亡くなる親とアドラー心理学
【最初から読む】年のせいだと思っていた物忘れは、父に訪れた認知症の現れだった
介護と育児との違い
子どもたちを保育園に朝夕送るという生活を7年半続けたことがあります。
小学校に入れば育児が終わりというわけではありませんが、それまでは子どもは一人では保育園に行けなかったのに、親が送らなくても学校へ行き一人で帰ってくるようになると、親の負担はかなり軽減するというのは本当です。
育児は大変ですが、日々子どもの成長を感じ取ることができます。
昨日できなかったことが今日できるようになり、今日できないことも明日にはできるかもしれないという希望を持てるからです。
だからこそ、子どもと日々関わることがどれほど大変であっても、育児の苦労は子どもの成長によって報われるといえます。
それに対して、介護は育児とは反対に、今日できたことが明日はできなくなり、今日できていることも明日にはできなくなるかもしれない親の世話をすることです。
成長が喜びなら、退歩は悲しみである......こんなふうに育児と介護の違いが説明されます。
育児は子どもが自立すれば終わりますが、介護はずっと続き、その意味で、介護は育児と違って「出口」が見えないというわけです。
しかし、これは本当でしょうか。
出口は本当は見えているのです。
ただ「いつ」その出口に到達するかが見えないだけです。
出口とはいうまでもなく親の死です。
ですから出口が見えないのではなく、出口を見てはいけないと思っているというのが本当です。