親の介護で疲弊する子、こじれる関係...。さまざまな問題を抱える家庭での介護ですが、認知症を患った実父の介護の中で、専門とするアドラー心理学に「親との対人関係上の問題について、解決の糸口を見いだせる」と哲学者・岸見一郎さんは感じたそうです。今回は、そんな岸見さんの著書『先に亡くなる親といい関係を築くためのアドラー心理学』(文響社)から、哲学者が介護者の目線で気づいたことをご紹介します。
【前回】「ブレーキを踏む」が思いつかなかった父。記憶からも消えて・・・/先に亡くなる親とアドラー心理学
【最初から読む】年のせいだと思っていた物忘れは、父に訪れた認知症の現れだった
親から離れる理由を持ち出さなくていい
父の介護をしていた頃は、週に一度講義に出かけなければならず、ヘルパーさんがこられるまでに二時間ほど父は一人でいなければなりませんでした。
朝食後、父は大抵寝るので、危険なことは起こらないだろうと気にはなりながらも出かけました。
ところが、講義に出かける日に限って、朝食後いつまでも寝ようとしなかったり、寝てもすぐに目が覚め、朝から食事をしていないと思い込んでキッチンへ行こうとするようなことがありました。
それでも何とか父を昼間一人で置いて出かけることができるのであれば、他の日も同じように、父が一人で過ごせないわけではなかったはずです。
要は、仕事があるという理由は、親を一人にすることを正当化するために必要だったように思うのです。
買い物は、大抵ヘルパーさんがこられている間であったり、夜に行っていましたが、その時間に行けない時は、父に買い物に行くからと断って出かけることができたわけですから、四六時中目を離せないわけではありませんでした。
実際には、そのわずかの外出の間にトラブルがあって、仕事という特別なことでもなければ父から離れることをむずかしく感じていたわけですが。
親との関係がうまくいかないと感じること、親を前にするとイライラしたり、怒ってしまうということも、親の介護ができないことを正当化する感情なのです。
親のところへ行くと思うだけで気が滅入るというのも同じです。
そのようなイライラ、怒り、憂うつなどの感情が起こるので、親のところへ行って介護ができないというのではありません。
反対に、親のところへ行きたくないという気持ちを正当化するという目的が先にあって、その目的を達成するためにこれらの感情を創り出していると考えるほうが、介護者に起こっていることを適切に理解できます。
わずかな時間であれば親から離れることが可能であることを前提とした話ですが、それではどうすればいいでしょうか。
親から離れているために、理由を持ち出さなくてもいいのです。
つまり、不安や怒りなどを感じなくても、ただ離れる。
仕事を理由にしなくても、ただ離れるのです。