母の介護を十年続けた絵本作家の言葉を落合恵子が引いています(落合恵子『母に歌う子守唄』)。
「あの夜、わたしは駅前の喫茶店でコーヒーを飲んだの」
母親は待っている。
でも、このまま帰りたくないと思ったとその作家は思いました。
「でも、あの夜のわたしはどうしてもコーヒーを一杯ゆっくり飲んでから、帰りたかったの。どうしてもどうしてもそうしたかったの。あのまま家に直行するのはいやだったの。......まだ帰りたくないという、わたしの気持ちが通じたのかしら、娘をこんなにも疲れさせてはいけないと思ったのかしら、母は翌朝早くに亡くなった......」
落合はこう語る彼女に「そんなにご自分を責めないで」としかいえなかったと書いています。
コーヒーを飲み、家に直行しなかった翌朝に亡くなられたので、この時のことが強くこの絵本作家の印象に残っているのでしょう。
先に書いたことと関連させていうと、親から離れる時には理由はいりませんし、ここでいわれているように家に直行しないでコーヒーを飲むことに特別の思い入れをする必要はないと今は考えています。
コーヒーを飲んでから帰ったことと翌朝亡くなられたことにはもちろん因果関係はありません。
昔、母が死んだ時、病院に寝泊まりしていました。
後、こんなことが一週間続いたら、私の身体がもたないと思った矢先に母は死にました。
そのことで長く自分を責めましたが、今はそんなふうに思う必要はまったくないと思えるようになりました。
いうまでもなく、私がそのように思ったことと母の死には何の因果関係もないわけです。
こんなことは冷静になればわかることですが、介護の渦中にある時は冷静な判断力を失って、深刻になってしまいます。
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アドラーが親の介護をしたら、どうするだろうか? 介護全般に通じるさまざまな問題を取り上げ、全6章にわたって考察しています