親の介護で疲弊する子、こじれる関係...。さまざまな問題を抱える家庭での介護ですが、認知症を患った実父の介護の中で、専門とするアドラー心理学に「親との対人関係上の問題について、解決の糸口を見いだせる」と哲学者・岸見一郎さんは感じたそうです。今回は、そんな岸見さんの著書『先に亡くなる親といい関係を築くためのアドラー心理学 』(文響社)から、哲学者が介護者の目線で気づいたことをご紹介します。
【前回】「外に出られなかった!」介護と事故と戸締り/先に亡くなる親とアドラー心理学
【最初から読む】年のせいだと思っていた物忘れは、父に訪れた認知症の現れだった
不完全である勇気
何が何でも在宅で介護をすると思わないことは必要だと思います。
在宅で介護できることは望ましいでしょうが、「できる間は」という条件を外さないことが大切です。
親が望むのであれば、慣れ親しんだ自宅で過ごせるよう何とか尽力したいとは思います。
父の場合は、本来父が過去のことを覚えていれば、戻ってきた家は「慣れ親しんだ」家のはずだったのですが、最初はどこにきたのかよくわかっていないようでしたから、在宅介護のメリットの一つはなかったことになります。
また、その親が慣れ親しんだ家が介護する家族の家から遠く離れたところにあるという場合も、在宅介護は困難であり、同居、もしくは近くへの転居が必要になります。
その際、先に見ましたが、環境の変化が親を多少なりとも混乱させることがあります。
他方、在宅介護が大変なので施設への入所を希望しても、入所は容易ではありません。
やむをえず、在宅で介護をするというケースも多いはずです。
ことに男性の施設入所はむずかしいことを今回知りました。
なぜそうなのか何人かの人にたずねたら、夫が介護を必要になった時は妻が介護できますが、妻が介護を必要とする時には夫はいないことが多いからということでした。
私の父の場合も、母がもしも生きていれば、母が介護をしたことでしょう。
親が強く在宅での介護を望み、デイサービスなどの介護サービスすら拒むというわけではないのに、介護サービスを利用しないで、何が何でも在宅で介護するのがいいと考えるのは、ちょうど育児の場面で、子どもは三歳までは親が見るべきだとする考えと同じです。
デイサービスについては、そこであたかも幼い子どもを相手にするような対応がされるという理由で本人が行くことを拒み、家族も行かせたくないと思うことがあります。
しかし、親の介護のために家族が四六時中時間を割かないといけないとしたら、その負担は大変なものになります。
父の場合は食事の介助などは必要ではありませんでしたが、買い物に行けず、自分で料理することもできませんでした。
それに、いつ家から出て行くかわかりませんでしたから目を離せませんでした。
買い物は父が眠っている間にすませました。
そのため、人と会う約束すらできなくなりました。
父のところにきてもらうこともありましたが、ゆっくり話すことはむずかしかったです。
ふいに父が起きてくるような状態ではカウンセリングはできず、講演の依頼も断らなければなりませんでした。
このような状態が長く続き、つらい思いをしました。
何とかして介護の負担を少しでも楽にする工夫は必要です。
デイサービスはもっとも利用しやすく、親のことを気にかけないですむ時間が週のうち何日かあるだけでも楽になりました。
父にはやがてショートステイにも行ってもらいました。
一泊二日、あるいは二泊三日ですが、夜、父のことを心配する必要がなく助かりました。
初めて父がショートステイを利用した日の朝、久しぶりにアラームをかけずに寝ることができました。